鉄路探訪 第4回「川崎大師への参詣客輸送を担う我が国初の標準軌鉄道・京急大師線」その1・京急川崎−港町
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川崎大師への参詣客輸送を担う我が国初の標準軌鉄道
その1(京急川崎−港町) 取材日:2011年6月5日
2011年7月31日初版公開
 身近にあるものほど、関心を向けることがないのが人間の性ではないだろうか。かくいう筆者も、身近なものに関心を向けることは少ないものだ。ところが、ある資料を読んでいくうちに「当たり前だった光景が、過去のものになりつつある」ということを知って驚いた。
 京浜急行大師線の改良工事については、以前から話は聞いていた。だが、計画から既に何年も経っていながら、工事はなかなか始まらないと思っていたのだ。たいてい、この手の公共事業は計画はできても、実際に取りかかるにはどういう訳か膨大な時間と費用を費やし、忘れた頃に始まるのが常。しかも、工事を始めると、計画よりもさらに長い時間と費用を必要として、結果的には予定していたよりも遙かに多額の費用のために、その償還にはさらに数倍の時間をかけてしまう。
 話しはそれてしまったが、その資料には「京急大師線の改良工事が始まる」という見出しが躍っていたのだ。さて、どこから始まったのかと資料を読み進めていくと、終着の小島新田駅から始めたとのこと。京浜工業地帯を横断する幹線道路、通称「産業道路」と呼ばれる神奈川県道6号線を大師線が横断するために起こる、慢性的な渋滞を解消することがねらいのようだ。ということは、あの片側3車線の道路をゆっくりと赤い電車が横断する姿が、近いうちに見ることができなくなるということになる。筆者は、急遽予定を変更して、京急大師線に乗ることにした。
 京急大師線は、京急川崎駅から小島新田駅に至る僅か4.5kmの路線だ。全線が川崎市内で完結し、4両編成の電車がこの短い路線を行ったり来たりしていて、本線との直通運転はないので支線としての色合いが濃い。だが、この大師線こそが、京浜急行の発祥ともいえる路線で、我が国で最初に標準軌(軌間1435mm)で開業した鉄道であり、東日本で初めて電車による営業運転を始めた鉄道でもあるのだ。
 大師線は1899年に、川崎から川崎大師に至る鉄道として開業した。もちろん、川崎大師への参拝客を輸送することを目的としたのは言うまでもないが、当時は寺社仏閣に参拝すると言えば地元に限られていたのが、この鉄道の開業によってそうした「常識」を覆したといってもいいかもしれない。
 開業当初は現在の京急川崎駅の位置からではなく、もう少し多摩川の土手寄りにあった「六郷橋」近くに造った「六郷橋駅」から発着していたと記録にある。この頃はまだ人力車が交通の主役で、人力車組合の反対にあって川崎駅には到達できなかったらしい。それでも、六郷橋駅−川崎大師駅間2.0kmを開業させている。そして、その後は延伸よりも先に全線複線となっているのが、ほかの鉄道の歴史と違っている点でもある。
▲京急川崎駅。駅に連なって京急ストアがある。左上の高架は京急本線で、大師線は京急ストアの奥にある。
 大師線が現在の形になっていくのは、第二次世界大戦末期の1944年のこと。この当時は京浜電気鉄道ではなく、戦時体制による東京急行電鉄に併合され(所謂「大東急」)ていて、同社の運営になっていた。そして、やはり臨海部の工業地帯への通勤客輸送のための延伸でもあったといえる。同年に川崎大師駅−産業道路駅間、産業道路駅−入江崎駅間と延伸。翌1945年には入江崎駅−桜本駅間を開業させている。
 こうして全線が開業した大師線も、1951年には早くも塩浜駅−桜本駅間を休止している。時を同じくして、大師線も架線電圧を600Vから本線と同じ1500Vに昇圧しているが、休止となった塩浜駅−桜本駅間は対象外となり、代わってこの区間には川崎市電が乗り入れを始めている。そして翌年には、川崎市交通局に譲渡して京急の手を離れ、さらに1964年には国鉄の貨物線建設のために、小島新田駅−塩浜駅間を廃止し、現在の大師線の姿となっている。

 筆者が大師線を訪れたのは、梅雨も明けぬ6月。空はどんよりと鉛色の雲に覆われていて、いつ雨が降り出してもおかしくないほどだった。大師線の起点は京急川崎駅だが、JRの川崎駅とは300mほど離れた場所にある。品川から横浜までJRと京急は競合関係にあるのだが、横浜駅以外は同じ場所に駅はなく、京急が僅かに海側を走っている。筆者は川崎駅までJRを利用したので、ここから5分ほど歩いて京急川崎駅へと向かった。
 京急川崎駅の周辺はバスターミナルもなく、駅前広場と呼べるものはない。駅の隣に同じ京急の系列である「京急ストア」があり、そこから少し歩くと「川崎銀座街」という商店街になる。そして、駅の前には「DICE」という複合商業施設があり、家電量販店「さくらや」や雑貨などを扱う「東急ハンズ」が入居している。ほかにもシネマコンプレックス「TOHOシネマズ」や飲食店もあり、なるほど多くの人で賑わっている。
 京急川崎駅は二層構造になっていて、改札を抜けるとすぐにある1階のホームは大師線が発着している。品川から浦賀に至る本線は2階のホームから発着している。島式2面4線の構造になっていて快特から普通まで全列車が停車し、緩急接続はもちろんのこと、羽田空港方面の列車の分割併合も行っている。
 大師線は1階のホームからの発着なので、2階には上がらずそのまま1階のホームに向かった。こちらは頭端式ホーム2面2線だが、朝夕のラッシュ時以外は海側の6番線ホームは使用していない。ここで列車を待っていると、1500形4両編成の列車が5番線ホームに入線してきた。
▲1000形(初代)が活躍していた頃の大師線。前照灯1灯、片開きドアという「京急スタイル」を堅持している。支線級の大師線は常に4両編成で運転され、本線運用を退いた車両が多く使われていた。京急川崎駅を出ると写真のようなカーブに差しかかりるため、標準軌といえども速度制限がかかる。(2009年5月撮影 京急川崎駅)
 ところで大師線は、つい最近前1000形電車(初代)が活躍していた路線だった。筆者も一昨年に一度出かけて記録に残している。その前は700形電車が活躍していたのだが、本線での運用を退いた古参の車両が大師線で使われるのが定番になっているようだ。京急発祥の路線として大師線はとても意義深いのだが、やはり支線扱いなのだろうかこうした「二線級」車両が使われている。
 ホームに滑り込んできた1500形電車も、やはり京急では古参の部類に入る。とはいえ、もっと古参の車両は800形なのだが、こちらは6両編成になっているので大師線では輸送力過剰になってしまうようで、1500形の出番となるのだろう。最近では新1000形も時折運用に入ると聞くが、この日は1500形のみだった。
 ホームを観察していると、節電のために照明は落とされていて、梅雨空も相俟って薄暗い印象だった。もっとも、それで不便かというとそうでもなく、意外にもあまり差し支えないように感じた。考えてみれば、筆者が幼少の頃は当たり前の光景だったような気が・・・。
▲大師線ホームに進入する1500形電車。大師線は地上ホームで発着していいて、ここで折り返し小島新田行きとなる。節電のためホームの照明は消されているが、それほど不便を感じない。
 小島新田行きの列車に乗ると、冷房で冷やされた空気に包まれて汗がひいていった。とはいえ、やはり節電対策で冷房も例年よりも設定温度を高めにしているらしく、筆者にとってはちょうどよく感じた。最近の車両は冷房装置の出力も段々と高出力のものになっていく傾向があるが、その分「冷えすぎ」と思ってしまうこともしばしば。そして、冷房装置から出される発熱量たるや相当なものだろう。その分だけ、外気は上がっていくのだから考えてみれば「悪循環」のようにも思える。
 そしてもう一つ、車内に入って気がついたのが照明。同じく節電対策で、車内の照明は消されていた。この日は曇りだったので晴れた日よりは暗いが、それでも気にならない程度。かつては、昼間から煌々と照明をつけた列車あまりなく、せいぜいそんなことをしていたのは国鉄ぐらいだったと記憶になる。それがいつからか、昼間も照明をつけるのが当たり前になったようだが、なんとも勿体ないことだ。ある意味、本当の意味で「省エネ」を考えるよい機会ではないだろうか。
 発射ベルが鳴るとドアも閉まり、4両編成の列車はゆっくりと加速する。そして、すぐにノッチオフしたらしく低速で進んでいく。京急川崎駅のホームを出ると、右に分岐しながら進むため、あまり速度が出せないのだ。分岐に差し掛かる手前で本線に通じる連絡線が左に別れていき、そこからさらに分岐したところには三本の留置線もある。この日は同じ1500形電車が1本昼寝をしているだけだった。
 列車は国道409号線の踏切を通過していく。京急の線路は、箱根駅伝でも有名な京急蒲田駅付近の国道15号線と交差する踏切といい、とにかく交通量の多い道路との踏切が多い。いずれも支線級の路線でのことだが、この点では都市部にある鉄道としては立体交差などの整備が遅れているように感じる。とはいえ、件の空港線は工事もかなり進んでいるらしく、近々には解消されるようだし、この大師線にしても既に着工しているから、問題の解決もそう遠くない日になるだろう。
 多くの自動車が踏みきりで通過待ちをしているの横目に直進していくと、今度はかなりの急カーブを通過していく。すると、車内がさらに暗くなった。ちょうどこのカーブは、多摩川の土手を避けるようになっていて、右側の窓から見える「壁」は多摩川の土手そのものなのだ。そして、短いトンネルのようなものを潜り抜けるが、このトンネルのようなものが国道15号線の六郷橋なのだ。右側の車窓には住宅が軒を連ねて建っていて、かなりの狭隘なところを線路が通っているのが分かる。
 六郷橋を潜り抜け、多摩川の土手沿いを僅かに進んでいくと再び右にカーブしていく。ようやく狭隘なところを抜け出ると、列車は減速して港町駅に到着する。
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