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「天下の険」箱根の麓に沿って山越えをする古の東海道線
その1(国府津−上大井) 取材日:2011年10月10日
2011年10月29日初版公開
 東海道本線といえば、東京から神戸まで至る我が国有数の幹線鉄道であることは、多くの人が知っていることだと思う。第二次大戦前には「燕」や「富士」といった優等列車が走り抜け、戦時中は物資輸送に勤しみ、戦後は復興と経済発展にともない「こだま」といった昼行特急から「あさかぜ」などの寝台特急が走り抜けた。今日もその重要性は変わることなく、地域間輸送に重点が置かれ長距離列車が減ったとはいえ、中距離列車が一定時間ごとに走り、深夜ともなれば高速貨物列車が頻繁に運転されている。
 そんな東海道本線が現在の姿になったのは、1934年の丹那トンネルの開通である。それまでは、熱海止まりとなっていて、大阪方面に向かう列車は別のルートを走っていた。それが現在の御殿場線である。
 御殿場線の開通は、国営鉄道の静岡開通の1889年にまで遡ることができる。この頃までには、東は新橋(現在の旧汐留駅)から国府津まで開通。西は大阪から浜松まで開通していた。残すは、国府津から浜松までの区間となっていたが、「天下の険」といわれる箱根越えをどうするかが大きな課題となっていたようだ。最も短いルートを考えるなら、現在のように海沿いに進めてのが順当だろう。しかし、どうしても箱根の険しい山が立ちはだかり、ここを越えることは当時の技術では不可能であった。そこで、国府津から酒匂川に沿って箱根外輪山を外回りするルートが選ばれ、建設が進められていった。こうして、国府津から御殿場を経由して沼津に至る鉄道が完成。箱根の険しい山々を回避し大回りをしたとはいえ、ここには最大25‰、平均すると22‰前後の勾配が連続しており、補助機関車の連結が必須で、しかも連結両数の制限もあり、長距離を走る優等列車には欠かせない食堂車すら外されるなど、列車の運行にはかなりのボトルネックとなっていたようだ。
 これを解消するべく、1918年に熱海から沼津に至る鉄道の建設を開始。難工事と多大な犠牲を払った上、1933年に丹那トンネルが開通し、翌1934年に開業。こうして、東海道本線の名を新たにできた海側を走る線路に譲り、御殿場を経由するルートは御殿場線と名を変えることになったのだ。
 
▲国府津駅で発車を待つ沼津行き313系電車。国府津駅はJR東日本管轄なので、駅名標はすべてJR東日本仕様。御殿場線はJR東海管轄と会社が違うため、境界駅でもある。
 夏の暑も過ぎ去り、秋らしさを感じるようになった国府津駅の朝は、とにかく静かなものだった。東海道本線の列車から国府津駅のホームに降り立つと、まず最初にそうした印象をもった。都会の真っ只中にある駅とは違い、休日の朝は人が集まる駅とはいえ、この静かさは貴重だと思う。むしろ、休日のこの時間だからこそ、まだ人も動き出していないのかも知れない。
 腕時計を見ると8時半前。仕事よりも早く家を出て、この時間に国府津駅に着いたのには理由があった。それは、御殿場線の列車の運行本数に関係がある。
 御殿場線を訪れようとした時に、まず考えたのがこれまでと違い、列車の運行本数の違いだ。これまで訪れてきた路線は、どれもが高頻度に運転されていて、事前に綿密な計画の必要はなく、どこに重点を置いて取材をするかだけを考えればよかった。乗っている途中で、気になったら計画になくても降りればよく、次にやってきた列車に乗ればよい。多くても10分ほども待てば、次の列車がやってくるからだ。
 ところが、御殿場線はそうはいかない。朝夕のラッシュ時はある程度の本数の列車が運転されているとはいえ、それでも1時間に3本。つまり、20分おきの運転だ。それが日中の閑散とした時間になれば1時間に1本ということになってしまう。途中下車をして、観察したり記録をしたりしようものなら、そこで1時間を過ごさなければならない。こうなってくると、計画なしで行くわけもいかず、事前にどの列車に乗ればよいのかなど下調べは重要になってくるのだ。
 そうして調べた結果、効率よく取材をするには国府津を8時40分に発車する列車に乗らなければならないという結論になった。それで、仕事よりも早く自宅を飛び出し、朝の8時半前には国府津にやってきたというわけだ。
 横浜から乗ってきた普通列車を降りると、ホームの反対側には既に沼津行きの列車が待っていた。列車といってもこの沼津行きは2両編成で、これまで乗ってきた熱海行き15両編成から比べると、当然のことだがこぢんまりしている。そして、ホームを繋ぐ跨線橋の下あたりで発車前のひとときを談笑している乗務員の制服も、これまで乗ってきた列車の乗務員のそれとは違い、紺色の上衣を着たJR東海の乗務員だった。それは、御殿場線の所属会社がJR東海である証左でもあり、この国府津駅がJR東海の在来線で運行する最東端というわけだ。
 沼津行きの列車は静岡車両区所属の313系3000番代の2両編成で、同じステンレス車体でもJR東日本のE231系をはじめとする、首都圏で走る最近の車両とはどことなく雰囲気が違う。何が違うのかと、発車前の時間を使ってじっと眺めていると、車体の側面にビート(波打ち板)入っていることに気づいた。
 かつては、ステンレス車体には薄いステンレス鋼を使うことにより強度に不安もあり、ビートの入ったステンレス鋼板を用いることはあった。だが、最近の車両技術の向上でこのようなビート板を用いなくてもそれなりに強度は保てるし、製造コストを抑えられるというメリットがある。それでも、経年変化で薄い鋼板が溶接部を中心に波打ちはじめてしまうし、何よりのっぺりとした外観が与えるなんとも安っぽい印象が拭えない。その点、JR東海の「標準車」である313系は、ビートのある鋼板を使っているので、強度はともかくビートがよいアクセントとなって、同じステンレス車体でもどことなく高級な感じがするのだった。
 車内に入ると、首都圏では見ることの少なくなったボックスシートが、ドアとドアの間に2セットあった。3扉の近郊形電車そのままの座席配置は、中距離列車には欠かすことができない。とりわけ、御殿場線のように車窓から見える景色の変化に富んだ路線では、こうした設備はとても重要だと筆者は思う。
 そういえば余談だが、以前職場の同僚・先輩と広島に行った際、一人だけ尾道に行くといって別行動をとった先輩が、意気揚々と缶ビールとつまみを携えて行ってはみたものの、乗ったのはなんと通勤形の103系だった。そして、その先輩はロングシートの車内でビールとつまみを広げるわけにもいかず、車内の隅の方で大きな体を小さくして、半ばこそこそとビールを飲みつまみを食べたそうだ。
▲国府津駅から沼津方を望む。出発信号機の先はすぐに高架を駆け上がり、東海道上り本線と交差する。高架には線路が2本あるが、右側が御殿場線の本線で、左側は国府津車両センターに続く入出庫線。
 少ない車両で大きな輸送量を確保するという、コスト削減という課題の前では、こうした車両を投入するのは理解できなくもない。その反面、鉄道がただひたすらに人間の輸送に徹しているだけで、そこにある旅の楽しみが削がれているのは残念な話だ。例えば、房総各線に続々と投入される209系など、その最たる例だろう。
 そんなことを考えていると、発射を知らせる電子メロディーがホームに響き、2両編成の列車は走り出した。御殿場線は、国府津駅の主に3番線から発着しているので、東海道本線の下り線と上り線に挟まれた線路を走ることになる。そのため、国府津駅を出るとすぐに高架を駆け上がることになり、この高架で東海道本線上り本線をオーバーパスするのだ。
 右にカーブを描きながら、海側(沼津に向かって左手)には小田原市の市街地、そしてその向こうには朝靄にうっすらと姿を現した箱根の外輪山が見える。季節がもう少し寒くなり、空気も澄んでいればもっときれいに山が見えるだろう。
 ところで、この高架を走っていて、御殿場線は単線なのにもかかわらず、ずっと複線のように線路が2本走っている。もちろん、複線ならば列車は左側の線路を走るはずだが、列車は右側の線路を走っている。一見すると複線に見えるが、左側の線路はJR東日本の国府津車両センターに繋がる入出庫線だ。高架を駆け下り、しばらく平地を走ると東海道新幹線をアンダーパスした先で、この入出庫線は左側に逸れて分かれていく。
 国府津車両センターから先も、見通しのよい直線が続く。線路の周囲には、民家や畑が広がり、マンションのような高層の建築物がないためか、とても広々とした感じがする。そして、このあたりはまだ平野が広がっているので、線路は築堤の上を走っているから、平野の広さがよく分かる。。
 下曽我駅は、御殿場線最初の駅で上下列車の交換ができる、島式1面2線の構造を持つ駅だ。ここでは上り列車の交換はなかったが、2両編成には不似合いなほど構内は広く、そしてホームも長い。蘇我梅林で有名な場所だけに、車内から外を眺めると、駅の近くまで梅林がある。梅の開花の時期になれば、きれいな花が一面を彩ることになるだろう。
 下曽我駅を出発すると、すぐにポイントを渡り本線に入る。御殿場線は全線単線なので、こうした設備を持つ駅では必ずポイントを通過しなければならない。ここからも直線が続くので、313系の加速力とも相俟って快走を続けていくが、線路の周りの景色は徐々に住宅から田畑の方が多くなり始め、平野部のローカル線の色彩が濃くなり始めた。
 そして、上大井駅に近づくと、遠く真正面にライトの光が見えてきた。上りの国府津行き列車が近づいているのだが、単線の路線に不慣れな筆者にとっては、次の駅で交換をすると頭で分かっていても、正面衝突でもするのではないかとひやひやする。列車は減速すると、上大井駅の場内にあるポイントを渡って、ホームへと滑り込んだ。
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