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かつての「赤字83線」から、都市圏輸送を担う電化路線へと進化する鉄道
その1(札幌−桑園) 取材日:2011年11月22・23日
2012年3月18日初版公開
 11月も下旬に入り、ようやく平日に仕事を休める機会ができた。筆者の仕事はほとんどカレンダー通り、平日に有給休暇を取ることはなかなか難しい。第一、平日に休んだとしても、必要最低限しか人がいない職場で、一体誰が穴を埋めてくれるのだろうか。そんな仕事なだけに、平日に有給休暇を取れるというのは何とも嬉しい限りで、しかも翌日は祝祭日となれば2連休。ちょっと遠出もできるというものだ。
 そんなわけで、冬になりつつあるというのに北海道に出かけることにした。同僚からは、「何でこの時期に?」「何しに行くんだ?」と、それはもう半ば変人扱いもあったが、筆者がこのサイトを作っていることを知っている同僚は、「何線に行くんだ?」と笑顔で聞いてくれる。やっぱり、理解者がいるというのはありがたい。もっとも、帰京した翌日には筆者が主催運営を進める行事があるので、「ちゃんと帰って来いよ」と釘を刺されもした。
 北海道の鉄道というと、長く果てしないというイメージがある。そして、特急列車が中心で、普通列車は日に数本、そしてなにより時間がかかるとうものだ。もちろん、幹線と呼ばれる函館本線でも、電化されているのは函館付近と小樽から札幌を経て旭川までの区間。あとは非電化なので気動車による運転だし、なにより人口過疎地域が多いが故に、列車の需要は少ないから2〜3時間に1本という運転頻度が実態であり、その他の路線に至ってもだいたい似たような感じであり、どちらかといえば都市間輸送が鉄道の大きな役割だといえる。
 ところが、北海道の中心地である札幌近郊はそうではない。人口約190万人を抱える札幌市をはじめとするこの地域では、鉄道も電化されているので気動車ではなく電車による高頻度運転が実現している。そして、空の玄関口である新千歳空港を結ぶ快速列車は毎時2本が運転されるなど、大都市圏の鉄道の様相を呈している。
 そんな札幌近郊区間にあって、いまだ非電化の路線が存在している。それが今回訪れる札沼(さっしょう)線だ。といっても、札幌駅をはじめとするJR北海道の案内は「学園都市線」という名称で、実際に駅の表示や乗換の案内放送もすべて「学園都市線」に統一されている。その愛称にあるように、札沼線の沿線はとにかく学校が多く存在するため、その利用者は学生が多い。そして朝夕のラッシュ時には、気動車のみで組成された6両編成で運転される列車があり、今日、こんな長大編成の気動車による普通列車は、この札沼線でしか見ることができない。その札沼線もも、2012年春には電化工事が完成することで、気動車による運転から電車へと変わっていく。即ち、この2011年が札沼線非電化最後のシーズンとなるわけで、そのような理由からも今回、実に3年ぶりに北海道を訪れることにしたのである。
 札沼線はいまでこそ、札幌近郊区間に入る路線で、前述の通りに朝夕のラッシュ時には6両編成で組まれた列車も走るほど、需要の多い鉄道路線だ。しかし、その歴史を辿ってみると、決して現在のように旅客輸送の需要が多かったわけでもなく、むしろ赤字ローカル線という印象が強い路線だった。
 1960年代に国鉄が赤字ローカル線の積極的な廃止として打ち出した「赤字83線」に札沼線は名を連ねていたし、第二次世界大戦中には「不要不急線」として名をあげられ、石狩当別−石狩沼田間が休止となり、線路を撤去し道路に転用されてしまう。とにもかくにも、廃止や休止といった言葉と背中合わせの歴史だといえる。
 札沼線の開通は1931年である。当初は北側の石狩沼田から中徳富(現在の新十津川)間を開通させ「札沼北線」として開業した。その後、南側は1934年に桑園−石狩当別間が「札沼南線」として開業。南北両方からの延伸を重ね、1935年に石狩当別−浦臼間の開業によって全線開業となり、名称も「札沼線」と改めた。戦時中は前述の通りに不要不急線として指定され、1943年から1944年にかけて石狩当別−石狩沼田間が休止。線路を撤去の上、道路に転用されてしまっている。全線開業から僅か9年しか経っていない頃の出来事だった。
 戦後は1946年には、さっそく石狩当別−浦臼間が再開し、1956年までに全線が復活している。しかし、復活の時期が遅かったことと、折からのモータリゼーションの進展により輸送需要は伸び悩んだ状態が続き、ついには「赤字83線」に名を連ね、1972年には最初の開業区間であった新十津川−石狩沼田間が廃止されてしまう。この廃止区間は、1つの路線としては最長距離であった。
 部分廃止後も札沼線はしばらくの間は、需要も伸び悩んだ状態が続き、決して楽観できる状態ではなかったといえる。かろうじて、沿線にある大学の学生需要に支えられているような状態だったが、1980年代に入り大きな転機が訪れる。
 札幌市北部のニュータウン開発が進められ、沿線の宅地開発がされると、札沼線はまさにニュータウンの重要な交通機関となった。国鉄の分割民営化直前の時期から民営化後にかけて、桑園−あいの里公園間にはそれまで4駅しかなかったのが10駅に増え、駅間距離も東京の山手線並みになるなど大きな変貌を遂げる。そして、輸送力強化もされて桑園−あいの里公園間は複線化され、投入される気動車も輸送需要に応える性能と仕様を備えたものを投入。都市鉄道としての役割を担うまでになった。
 その札沼線も、いよいよ電化工事の完成により、都市鉄道としてさらなる発展が期待されているわけだ。

 札沼線の起点は、路線名称からも分かるとおり札幌駅である。札幌駅に降り立つのは、実にこれで4度目だ。前回は2008年の冬と夏で、その前は2005年と2004年だった。秋から冬に北海道を訪れることが多く、どういうわけか夏などの季節はあまりない。しかも、今回は羽田から空路で北海道入りしたが、他はほとんどが寝台特急で北海道入りしているのも、これまでと大きく違っているが、「鉄路探訪」を旨とする筆者にとって、やはり往復とも列車を使いたかったのだが、今回は予算と時間の制約もあったので諦めざるをえなかった。残念である。
 11月も終わりに近づいた札幌駅は、到着した時はちょうど吹雪いていた。確かに、当日朝の天気予報でも石狩地方は雪のち晴れとか言っていたが、横殴りの強い風が吹いてその中を雪が降っているのだから、吹雪…だと思う。前日までは「暴風雪」の予報だった気がするのだが。
 新千歳空港から乗ってきた快速「エアポート」を降りると、ホームは相変わらず地下駅のような雰囲気だ。札幌駅は高架駅なのだが、駅の上には「JRタワー」なる高層ビルが建ち、駅は「JRタワー」と一体化しているから、どうしてもホームは暗くなる。もちろん、雪が多い土地だけに、空を覆い隠す屋根の役割をしているという点ではよいのだが、札幌を起点とする特急列車のほとんどは気動車なので、そのエンジンの排気ガスがホームにこもってしまうのだ。それ故に札幌駅のホームは、気動車の排気ガスである軽油の燃えた独特の匂いが漂う。
▲札幌駅のホームは高架化工事により、すべて「JRタワー」と一体となった上屋に覆われている。冬季は降雪からシェルターの役目をするが、その分だけ駅構内は薄暗い印象がする。また、長距離列車はすべて気動車による運転のため、排気ガスがこもるという難点を抱えている。

 札幌駅は前述の通り高架駅で、北海道の鉄道網の中心となる駅だ。5面10線という規模はターミナルとしては十分なもので、ここから道内各地の都市を連絡する特急列車が、文字通りひっきりなしに発着している。
 国鉄時代の道内特急は、札幌と旭川結ぶ「いしかり」を除いて、すべて本州との連絡に重点を置いたために函館を中心としたものだった。札幌駅を発着する特急列車は「いしかり」と「北斗」ぐらいで、それも「北斗」は函館から函館本線を通しで走破して旭川に向かう特急列車であり、札幌駅は単なる停車駅の一つに過ぎなかった。それが、民営化後は北海道の中心都市である札幌を中心にしたネットワークへと作りかえられ、ほとんどの特急列車は札幌駅を発着する列車へと変貌し、札幌駅の役割も当然変化している。
 そんな札幌駅は、1番線から8番線までが函館本線と千歳線の列車が発着している。普通列車は3両編成で長いホームの中程に停車したかと思うと、反対側のホームには6両編成の空港連絡快速列車である「エアポート」が到着し、一方では函館へ向かう特急「北斗」のキハ183系気動車が、アイドリング中のディーゼルエンジンの音を構内に響かせながら発車を待っている…という光景は、まさに「ターミナル」にふさわしいものだ。
 そして、札沼線はというと、札幌駅の9番線と10番線からの発着と案内されていた。宿泊先のチェックインは17時過ぎと伝えていたので、投宿するにはまだ早過ぎる。とはいえ、荷物は取材の邪魔になるので、とりあえずコインロッカーに預けることにした。
 札幌駅のコインロッカーは、これまで北海道を訪れた際に何度もお世話になっている。そんなわけで、ある程度の場所は頭の中に入っていた。その場所へ行こうと階段を下りて、駅の改札へと通じる連絡通路へと足を運ぶ。連絡通路は広く、待ち合い室代わりにあちこちにベンチが備えられていたが、なにより厳しい寒さの北海道だけに石油ストーブを焚いて暖を取りながら列車を待つことができるようにしたコーナーは今年も健在だった。
 コインロッカーに荷物を預けようと、ロッカーを見るとあることに気がついた。それは「鍵がない」ということだ。筆者は思わず、「しまった!」と思った。常識で考えればコインロッカーの鍵がないということは、すべて「使用中」を意味している。ところが、よくよくこのコインロッカーを観察すると、鍵を差し込むべき「鍵穴」すらなかったのだ。
 元来、技術屋で説明書をあまり読むことなく、すぐにいじりだしてはその物の使い方を覚える質の筆者は、今回も待た説明書など読もうともしなかった。が、このコインロッカーの使い方はさすがに分からず、掲示してある説明書を読んでみると、このコインロッカーに鍵はないようだった。
 とりあえず荷物を空いているロッカーにしまい、料金を払うべくロッカー中央にある液晶パネルを操作すると、ここでもIC乗車券を使うことができ、しかもそのIC乗車券そのものが「ロッカーの鍵」になるというから驚きだ。それにしても、ここは北海道でIC乗車券も当然JR北海道の「kitaca」でなければと考えながらよく見ると、そこには見慣れた「suica」のロゴが。ここでも、JR東日本とJR北海道の密接な関係が見て取れた。
 無事に荷物を預けて再びホームに立ってみると、冷たい空気が筆者の体を包み込んだ。やはり北海道の冬は寒い…と覚悟を決めてきたのだが、以前経験した「身を切られるような寒さ」までにはなっていないようで、我慢できないというほどでもなかった。それでも気温は5度、東京では真冬の寒さなのだが。
 札沼線は札幌−あいの里公園間は日中20〜30分おきの運転で、その先石狩当別、北海道医療大学は1時間おきの運転になっていた。もちろん、行き当たりばったりに乗っては、最悪は寒い中1時間も列車を待つ羽目になるので、今回はしっかりと計画を立てていた。
▲雪が舞う中、札幌駅へと進入するキハ201系気動車。非電化区間がほとんどのJR北海道にあって、特に札幌圏のスピードアップによる速達性の向上を目指して製造された高性能気動車で、その性能は電車と同等である。日中は札沼線の運用にも入る。 
 そんなわけで、札幌を11時40分に発車するあいの里公園行きの普通列車に乗るのだが、やってきたのは厳つい顔つきをしたステンレス車体のキハ201系気動車だった。筆者としては、客車改造の気動車の異端児・キハ141系を期待していたのだが、日中はこのキハ201系も札沼線の運用に入っているようだ。
 3ドアのロングシート、気動車としては「通勤形」と言うべきであろうキハ201系は、JR北海道が非電化区間の輸送力改善を目的に製造した。同時期に製造した731系電車と同等の性能、車体、接客設備をもち、気動車と電車の強調運転も可能という高性能気動車である。
 さっそく車内へ乗ろうとすると、何かがおかしい。そう、ドアが開いていないのだ。回送列車でないことは間違いなく、側面の行き先表示幕にも「あいの里公園」行きであることを表示しているし、車内にはすでに乗客の姿もあった。さて、どうしたものかと考えていると、その答えはドアのすぐそばにある押ボタンスイッチにあった。
 北海道という過酷な気候の中で運用するために、従来の国鉄形車両では窓は小型の二重窓、ドア部分にはデッキを設けて客室と仕切ることで、冬季の保温性を保っていたが、近年の人口増加とそれに伴う輸送量の増加により、特にラッシュ時などでは従来からのデッキ付車両では混雑を捌けない状態になり、列車の運行にも支障を来すほどになっていた。そこで、キハ201系気動車をはじめとする最近の新製車では、デッキを廃する代わりに押ボタン式半自動ドアとすることで、乗降時に乗客がスイッチ操作することでドアの開閉をするようになったのだ。それ故、このドアは開かなかったのだ。
 筆者の住む地域では、半自動ドアの車両も最近になって運転されているが、基本的にこうした設備を使用することはない。それだけに不慣れというか何というか、とにかく恥ずかしいことにボケーッと突っ立っていたのだ。そんな筆者の姿を見た地元の人は、おそらく「内地から来た人だろう」と思ったかもしれない。
 ようやく北国の掟に従って、ドアを開けて車内に入ると今度は閉めなければならない。そのスイッチも車内のドア脇に取り付けられていて、後から乗車してくる人がいないことを確かめてスイッチを操作してドアを閉めた。
 車内は暖房がしっかりと効いていて暖かい。気動車の暖房はエンジンの冷却水の熱を利用することが一般的だが、キハ201系気動車では遠赤外線暖房を装備している。この他にも、ドア付近には温風エアカーテンなるものも取り付けられているが、今回はまだ使用する時期ではないのだろう、温風は出ていなかった。
 座席はロングシートで、客室窓は面積の広い固定式窓で、白を基調とした内装と相まって非常に明るく感じる。この日のあいの里公園行き普通列車には、座席はほぼ埋まっていて、筆者を含めた数人が立っているといった程度だった。
 定刻が来ると列車は静かに、そして滑らかに走り出した。出力450PSという強力なエンジン(N-DMF13HZE)が唸りを上げているが、それは車内にはさして気になるような大きさではなかった。それでも、強力なエンジンが引き出すパワーによって、気動車とは思えない電車並みの加速度とともに、札幌駅のホームを後にしていく。 
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