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気動車王国・千葉の名残を残す房総・城下町の鉄道
その5(久留里−上総亀山) 取材日:2012年1月5日
2012年7月30日初版公開
 久留里駅は路線名の由来となっている駅で、木更津を除く久留里線の全駅を管理する管理駅となっている。上下列車の交換を行う横田駅や、タブレット交換をする終着の上総亀山駅(※)は駅員配置のある直営駅ではあるが、列車交換やタブレット授受という運転業務を取り扱うための駅員配置で、営業管理面では久留里駅の被管理駅という位置づけだ。
▲上:平山駅の駅名標。国鉄時代のサイズそのままのものを活用しているが、書体は国鉄時代に使われていた「角丸ゴシック」ではなく、ごく普通の角ゴシック体であることから、近年新しく作り直されたことが窺える。 下:久留里線により沿うように流れる小櫃側も、上総亀山に近づくにつれて川幅も狭くなっていく。流れはわからないが、渓谷になっているところもあり、車窓から眺めることができる。
 久留里駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面で2線で、久留里線の駅の中では比較的大きく広い構内をもっている。これだけの設備をもっているので、当然この駅で上下列車の交換を行うが、横田駅とこの久留里駅で1閉塞区間を設け、さらに久留里駅と終着の上総亀山駅で1閉塞区間を設定しているので、必ずここでタブレット授受が行われる。
 筆者も業務の邪魔にならないように気をつけながら、その様子を観察してみた。本やウェブなどでは、タブレットを授受する光景を見たことあるが、実際に自分の目でこうして光景を見るのは初めてだった。とにかく、タブレットを入れたキャリアが思っていた以上に大きい。そして、なんと言ってもその形は昔ながらの無骨さを感じさせる。この光景も、この3月に行われるダイヤ改正で姿を消すというから、古き鉄道の光景がまた一つ減るのは寂しい話だ。
 余談だが、筆者が鉄道員に成り立ての頃、友人は高崎機関区に配属になったものの、動力車操縦免許を取得できる年齢に達していないので、当然車両整備をしているのかと思いきや、実際には機関士の制服を支給されて、八高線のタブレット授受要員として機関車に乗務していたという。既に機関助士という制度はないのだが、この友人は幸運にも機関車乗務をすることができたのだ(ちなみに筆者は地上勤務のままだった)。そして、貨物列車は駅をほとんどの駅を通過するのが常で、当然タブレットの授受も走行しながら行われる。この友人は、確実にタブレットの授受を走行しながら行うことが任務で、とにかくタブレットキャッチャーに投げ入れるのはもちろん、票授器からタブレットを腕で受け取るのも緊張の連続だったという。そして、票授器からタブレットを腕に引っかけて受け取る時はとにかく腕が痛かったそうだ。この友人は、気の狂うような(と、筆者は思っている)適性検査をパスし、医学適性検査というハードルを超えて免許を取得し、正式に機関士になったそうだが、その後はどうしていることだろうか。
 話が逸れてしまったので、久留里駅の話に戻すが、駅舎は木造平屋の古い建物をそのまま使用している。先ほど全駅を管理する管理駅と紹介したが、そうした駅とは思えない小さな駅だ。駅の規模こそ小さいが、久留里線全体を統括する駅の役割は大きく、そのためにこの日でも日中は二人配置になっているようで、上りと下りそれぞれのホームに駅員の姿が見られた。
 ところで久留里駅から2km弱のところに、久留里城という城趾がある。甲斐武田氏の流れを汲む安房武田氏によって築城され、後に南総里見八犬伝でも有名な里見氏によって抑えられた城である。後に里見氏から松平氏の手に渡り、久留里藩の藩庁ともなり、久留里の町は上総国はもちろんのこと、武蔵国の埼玉郡や比企郡をはじめとした現在の埼玉県南西部までも支配地域とした藩の中心城下町として栄えたようである。久留里の町はそうした古くからの町で、久留里街道に沿って家々が建ち並ぶ様もまた、城下町であったことの名残なのだろう。
 列車は久留里駅で最後の閉塞へ入るべくタブレットを交換すると、ドアエンジンが作動する空気音とともに側扉が閉まり、再びエンジン音を唸らせながらホームから滑り出して、上り勾配に挑んでいく。もっとも、「挑む」と表現はしているが、エンジン音に比べて苦しい走り方をしているかと言えばそうでもなく、かといって軽快で軽々と上っていくかと言えばそうでもない。ちょうどその間ぐらいで、苦もなく楽でもなくといった案配だ。このあたりは、搭載されているエンジンが旧式で170PSという出力しかもたないDMF17系列から、直噴式で出力もあるDMF14系列に換装されている効果だろう。
 車窓から見える景色も、久留里駅を過ぎたあたりからこれまでの薄茶色で休耕中の田畑が広がる農業地帯から、いよいよ山間部へと入ってきたことを知らせるかのように、常緑樹の濃い緑と落葉樹の枝だけになった木々へと移り変わってきた。そして、時折見える小櫃川は久留里線をつかず離れずといった具合に沿って流れる川で、こちらもやはり冬景色でどことなく物寂しい感じがした。

▲冬の朝日を浴びた上総亀山駅は、訪れた当時はまだ「有人駅」であった。駅舎は小さく閑散としているが、かえってそうした雰囲気が房総の山奥にある終着駅らしく感じた。国鉄気動車一般色を身に纏うキハ30形もまた、そうした終着駅によく似合う。

 それがもっとも顕著になるのは平山駅を過ぎたあたりからで、いよいよもって人家も見えず田畑もぽつぽつとしか見えなくなり、はたして鉄道利用の需要があるのかとさえ思えるような光景になってきた。
 右に左にカーブを繰り返しながら上り勾配を進んでいくと、上総松丘駅に到着する。単式1面1線のホームには人の姿はなく、降車客もいなかった。もっとも、ここまで来ると列車に乗っている乗客といえば、筆者を含めて数人程度しかなく、しかもそのほとんどは久留里線に「乗りに来た」とおぼしき人だけになっていた。
 上総松丘駅を出て左カーブを通過する頃には、車窓はすっかり木々の生い茂る山の中になっていた。そしてこれまでなかったトンネルもあり、最初は国道410号線をアンダーパスするために、道路部分が盛り土になっている小さなものだったが、次に右カーブを通過し終えると長いトンネルへと入り、ディーゼルエンジンの唸りがトンネルの中で響いて、その音は車内にも聞こえてくる。 トンネルを通過すると、線路沿いには再び田畑が見えてくるが、それも線路近くにあるだけで、その奥には人の手が入ることを拒むかのように、房総丘陵の山が迫っている。そして、この田畑で農業を営んでいるであろう人の住む人家がぽつぽつと見えてくると、久留里駅からずっと続いてきた上り勾配も終わり、終着である上総亀山駅に到着した。
 木更津駅から乗ってきた列車からは、筆者を含めて数人が降りていくが、駅の改札を出て別の場所へと向かった人は1人か2人で、あとは折り返し木更津行きとなる列車が発車するまでの間、今や貴重となり、その余命も幾ばくもないキハ30形気動車にカメラのレンズを向けたり、山の上にある小さな終着駅の様子を観察して楽しむ人たちだけになった。駅からは駅員がホームに立って列車の到着を出迎え、運転士からキャリアに入ったタブレットを受け取ると、すぐさま駅舎へと引き返していく姿が見えた。列車の到着を久留里駅へ連絡する手続きをしに戻ったのだろう。通票閉塞方式に限らずでは、こうした一つ一つの作業が列車の安全運行を支えていることは間違いない。
 上総亀山駅は標高99mに位置する千葉県内の鉄道駅では最も高い場所にある駅だが、そうしたことを示すようなものは一切見あたらなかった。島式2面1線という駅の構造は、終着駅としては標準的なものだが、ホームは2両編成に対応するしか長さしかもたず、規模は小さい方だった。乗ってきた列車は2番線に入ったが、ラッシュ時や夜間に車両を滞留させる時には、恐らく1番線も使用されるのであろう。小さな駅舎から出ると、そこにはバス停などはなく、小さな駅前広場があるだけで、タクシーや自家用車といったものはなく、山間の静けさだけが駅前にあるだけだった。地図上で見れば、駅の反対側を300mほど行った場所には小櫃川をせき止める亀山ダムがあり、人造湖の亀山湖があるようだが、そこへ行く人の姿は平日の日中のためか皆無だった。温泉もありオートキャンプ場もあるようだが、およそ観光地というイメージはなく、ただただ、静かな時が流れているだけのようだった。

▲乗車してきた列車の木更津方には、キハ38形が連結されていた。こちらは久留里線色を身に纏っている。キハ38形は国鉄最末期に当時非電化区間であった八高線の冷房化を目的に、キハ35形の廃車発生品を活用し、キハ35形の改造名義で製作されたもの。八高線電化後は久留里線に転用されたが、バス用の部品を多分に使っているため、国鉄形気動車としては若干重厚感がなく感じる。
 そして、2012年3月のダイヤ改正では、久留里線の閉塞方式も、人の手に依るところの大きい通票閉塞式から、軌道回路検知式の特殊自動閉塞式へと変更されることになる。全国でも数少なくなったタブレットの授受をする光景も、この冬で見納めとなってしまうのは何とも残念であるが、これも時代の流れなのだろう。駅の場内には、既に出発信号機などの信号機器が設置されていた。そして、それとともに上総亀山駅も無人化とともに、駅構造も1面2線から1面1線への縮小が予定されている。こして、駅員が列車の到着を待ち、列車の発車を見送るのもあと僅かだ。
 かつては赤字83線に名を挙げられそうになるものの、京葉工業地域があるために通勤輸送などの需要に将来性があるとして、その勧告から免れた経緯のある久留里線だが、一日の平均乗車人員が200〜300人程度にしかなく、終着の上総亀山駅に至っては平均乗車人員が90人と、ローカル線の域を出ることはなかった。日中は毎時1往復程度の列車設定にもかかわらず、今日も久留里線が残り続けているのは、実際に列車に乗車して概観してきたとおり、やはり沿線に多くの学校があり、とりわけ高校生の通学という需要があるからかも知れない。木更津駅からほど近い場所には住宅もあるので、通勤客の需要も少なからずあるのだと思う。それが、久留里線を持ち堪えさせ続けた理由なのかもしれない。
 当初の計画では上総亀山駅から、木原線(現在のいすみ鉄道)と繋いで外房線大原駅とを結ぶ、房総半島を横断する鉄道となる計画であった。しかし、上総亀山駅から先に線路は延びることなく、房総半島横断鉄道の夢は潰えてしまった。地図上で見ると、上総亀山駅からいすみ鉄道の上総中野駅まで約15kmほどしかないが、それでも房総丘陵の山中に鉄道を通したところで、恐らく線形も悪く速達性に欠くようであれば、それほどの利用も見込めないと考えると、二つの線路を結ばずに久留里線がいわゆる盲腸線としたのも理解できなくもない。夢はやはり夢でしかないのかも知れない。
 この記事を書き終え、読者の皆さんに公開する頃には、久留里線も転換期に入っている頃だろう。今回乗車したキハ30形気動車やキハ38形気動車も、寄る年波には勝てず老朽化も進んでいる。JR東日本は、既に後継となる軽量ステンレス車体をもつキハE130系の久留里線への導入を決定している。そうなれば、久留里線の姿も大きく様変わりするだろう。こうして、また一つ、昔から続いてきたノスタルジックな光景もまた、過去帳入りとなってしまうのは非常に残念であり、寂しいことだと思う。だからこそ、今もまだ残る古いものを大切にしたい、と筆者は思わずにいられない。

※筆者が訪れた2012年1月の時点では、久留里線はタブレット閉塞(正式には「通票閉塞式」)のために上総亀山駅にも駅員の配置がある直営駅であったが、2012年3月のダイヤ改正で閉塞方式が特殊自動閉塞式に変わったため、上総亀山駅は駅員配置をなくし無人化された。
▲終着の上総亀山駅に停車するキハ30+キハ38の2両編成の気動車。折返し木更津行きとなり、発車までのひとときを待つその姿は、山間の非電化路線らしく静かな雰囲気であった。アイドリング状態のエンジン音だけが構内に鳴り響いている。通票閉塞式を使用する最後のシーズンであり、暖かくなる頃にはローカル線らしい光景も見ることができなくなり、さらに夏が終われば重厚感のある国鉄形気動車から、ステンレス車体の軽快感のある新型車へと置換になる。そうした行く末を語ることなく、2両編成の気動車はただ静かにその時を待ち続けるのだろう。
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