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気動車王国・千葉の名残を残す房総・城下町の鉄道
その6(追補 久留里線沿線のスポットと概況) 取材日:2012年1月5日/2014年5月26日
2014年5月28日初版公開
 久留里線を訪れてから2年後、2014年に再び久留里方面へと出かける機会をもったので、追補として沿線の概況と史跡、歴史について書き記そうと思う。もっとも最初は書くつもりはなく、まして追補するという発想はなかったが、ある人の「書いてみれば?」と勧めてくれた一言をいただき、それならばということで筆をとる…いや、キーボードを叩くことにした。鉄道とは少しばかり話が逸れるので、久留里線沿線の観光案内とでも思っていただければ筆者としては幸いである。

 2014年の初夏、房総の山々の緑が濃くなり始めた頃、久留里城という史跡を訪れた。城跡といえば国宝である姫路城をはじめ、全国にたくさんの有名な城がある。東海道・山陽新幹線に乗っていれば、名古屋、姫路、岡山、広島、小倉などなど車窓から眺めることもできる。ここに挙げた城跡はどれもが荘厳かつ美しい天守があり、誰もが知ることろであろう。とはいえ、現存天守と呼ばれる復元ではない、古くからある天守をもつ城跡は数少ない。
 名城とも呼ばれる城跡はともかくとして、意外にも日本には数多くの城跡がある。戦国時代に築城され、戦に於いては本陣として、あるいは最前線の指揮所として活用されたものの、江戸時代には廃城となった城跡がそれで、探してみると身近にたくさんの城跡があることに驚かされた。

▲上:久留里線の路線名の由来となったであろう久留里藩の藩庁が置かれていた久留里城趾。久留里駅からは徒歩で行くことになるが、さほど遠くない場所にある。山城なので本丸までは舗装された歩きやすい道が整備されているほか、山林歩道も整備されているのでちょっとしたハイキングも楽しめる。天守は復元天守だが、大雪の影響で瓦が破損し、現在は中に入ることができない。下:本丸付近より三の丸を俯瞰した眺めは、ここに城があったことを窺わせる物はない。左側の啓けた耕作地が三の丸があったという。右奥、雑木林に囲まれたところは戦国時代には里見氏の拠点として機能した久留里城は、関八州の平定を目指す後北条氏との最前線となり合戦が行われた古戦場でもある。
 筆者の住む神奈川県東部にも、枡形城というやはり戦国時代の城跡があり、現在では公園として開放されているので気軽に訪れることができる。もちろん、天守など当時の建築物などは現存せず、そこがかつて城があったことを伝える細い石碑があるだけだ。山城などと呼ばれるそうだが、実は久留里線沿線にも同じような山城の城跡が存在する。
 久留里線の線名のもととなったのは、途中駅に久留里駅があるからというのは容易に想像できるだろう。その久留里という地名は、江戸時代に久留里藩という二万〜三万石の石高をもつ藩が置かれ、その藩庁として久留里城が活用されたという。いわば、久留里駅の周辺は久留里藩の城下町としてある程度は栄えていたのだろう。
 とはいえ、この久留里の町を自動車で行くと「久留里街道」と呼ばれる道を行くことになる。久留里街道と呼ばれるこの道は、国道410号線であり久留里線の線路とほぼ並走しながらいく道路だが、国道とは思えないくらいごくごくありふれた地方の道といった様相で、二車線、それもさほど道幅が広くないその道路を走ると、城下町であったであろう久留里駅周辺には昔からの木造民家や商家が建ち並ぶ姿が見られる。とはいえ、それほど観光客を相手とした商店や施設があるわけでもなく、どちらかといえば地域に住む人々が利用する店舗が中心であったようだが、現在では営業しているものは少ないようだ。
 自動車で通過してしまえばあっという間だが、旧街道の町並みを歩くにはやはり徒歩で行くのがいいかもしれない。建築物や建造物に興味をもつ筆者とすれば、鉄路探訪をするとき以外は徒歩でその街を直に感じるようにしているが、2013年冬と2014年春のどちらも自動車でこの街道筋を通っている。とはいえ、後者は探訪目的ではなく純粋に久留里の町を目的に訪れたので、ある程度は見ることもできたのだが。
 ところで日本の鉄道路線名は、とりわけ旧国鉄→JRでは一定の規則に則って命名されている。鉄道線路に並走する幹線街道から採られるもの、旧国名や行政区分名から採られるもの、あるいは起点と終点の駅名から一文字ずつ採るものやどちらかの駅名から採るものなど、例を挙げだしたらきりがない。東海道本線であれば東海道から命名されていることは、その規則を知れば誰もが想像するに難くないと思う。
 では久留里線は?ということだが、恐らくは旧行政区分名である久留里藩から命名されていると思われる。命名規則に当てはめてみると、そのぐらいしか思いつかないのだが。
 さて、久留里線の名称のもととなった久留里藩、その藩庁が置かれた久留里城は、この地域を訪れたなら立ち寄ることをお薦めしたいスポットである。というのも、さほど高くない山城なので気軽に登ることができる。その天守がある本丸からの眺めは、房総にある自然を堪能するには十分すぎるほどで、しかも都心部にはない静かで穏やかな時間が流れている。仕事に、生活に疲れたならこうした自然の中でリフレッシュするのもいいだろう。
▲終着駅である上総亀山駅へと向かう線路は、房総半島の山中へと入っていく。運転台の窓越しに見ると、勾配のきつさなど狭隘な中を走って行く様子が窺いしれる。線路の向こうには常緑樹の木々が、線路際には枯れて薄茶色の野草が見えるが、春になれば青々とした緑に囲まれていく。

 もう少し自然の中で癒やすなら、山林歩道を歩くことをお薦めする。しっかりと整備された遊歩道であるが、本丸付近から山中を歩いて駐車場付近まで行くことができる。筆者も山歩きするつもりはなかったので、まったくそうした装備など持っていなかったが、1kmほどしかなく勾配もきつくないのでちょっとだけハイキングという感じだった。手軽に自然の中に抱かれるにはうってつけのポイントだといえる。
 さて、久留里線の終着駅である上総亀山駅の周辺についても話しておこうと思う。久留里線で訪れた時は、上総亀山駅の周辺には何もないと本稿でも紹介したが、実際には駅前などごく近いところには目立つような施設や建物などはなかった。
 ところが、2014年に自動車で付近を行くと、なんと駅から僅か数百メートル先には、小櫃川をせき止めてつくられたダム湖・亀山湖があり、しかも湖の畔には温泉まであったのには驚かされた。亀山湖を造る亀山ダムは、千葉県内にある数少ない上水道用の水源として機能し、同時に小櫃川の河川水量維持や農地防災などの多目的に活用されている。そして、その亀山湖の畔にある亀山温泉は、名だたる温泉街の雰囲気とはほど遠い、小さな温泉宿が二軒しかないところだが、非常に静かな中にあるので日常の喧噪を忘れてのんびりと寛ぐにはいいかもしれない。夏季であれば湖畔のキャンプ場でアウトドアを楽しむのもいいだろう。とにかく、駅から徒歩10分程度の先に温泉や湖があるとは、久留里線を訪れた時には知らず、この機会に訪れて新たな発見したことには驚くほかなかった。

 新たな発見といえば、久留里線が走る沿線の光景もそうである。久留里駅から木更津方は水田が多いが、上総亀山方は山間部であることは本稿でも紹介したと思う。しかし、自動車で並走する国道410号線を走りながら横目で久留里線を俯瞰していくと、列車の車窓からは分からないことに気づいた。それは、久留里線が緑が豊富な自然の中を行く鉄道であるということだった。列車の中からだと確かに木々が鬱蒼と生い茂る中を走破するイメージだが、列車の外から俯瞰すると見事な緑の中を通っている、豊かな景色に感じられた。これもまた、都心部の鉄道にはない光景だろう。
 とにもかくにも、あらためて訪れることによって再発見あり、新たな気付きありと、楽しみは次々と湧いてくる。それは、久留里線に限らずどこを訪れても同じであると思う。しかし、今回、久留里線沿線を訪れたことで、そうした再発見ができるということ筆者は学んだと思う。
 上総国里見氏が興し、江戸時代は久留里藩として栄えた古の街、そこを通る鉄道は首都圏では少なくなった大自然の中を走っている。その古き良きものや、豊富な自然がいつまでも残され地元の人々はもちろん、訪れる人々にとって癒やしてくれる存在であってほしいと願いながら、追補の筆を置く。

 末筆になったが、あらためて久留里の町を訪れる機会と、再発見、新たな気付きという学ぶ機会をくださり、さらには追補として書くことを勧めてくれた筆者にとってかけがえのない素晴らしい方に心から感謝するとともに、いつまでも一緒にいられることを願って、駄文であるがこの稿を捧げたい。
▲2012年に久留里線を訪れた際の久留里駅でのタブレット交換光景。この写真を撮影した2か月後、タブレットを使う通票閉塞方式は廃止され、代わりに通常の灯色式信号機を使用する特殊自動閉塞方式へと移行した。既に設置工事がほぼ終わっているため、タブレットキャリアを持つ駅員の向こうには、使用開始前の信号機が横を向いているのが見える。過去のものとなってしまったローカル情緒溢れる光景だが、その背景にある房総の山々と素晴らしい自然はいつまでも残していきたいものだ。
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