このサイトについて 「筆者」への連絡
激動の時代に翻弄されつつも現在に生きる地方鉄道
その1(渥美線概説、新豊橋) 取材日:2012年5月13日
2012年8月20日初版公開 / 2012年8月26日加除訂正
 大都市の大手私鉄で活躍した車両が、地方の私鉄に職場を得て、第2の人生を送る例はいくつもある。とりわけ、その車両の耐用年数が長ければなおさらのこと。雨水などによる腐食の心配が、普通鋼製に比べて少ないステンレス鋼やアルミ合金の車体をもつ車両なら、少々年式が古く陳腐化していても費用対効果の面から考えれば、それは引く手あまたとなるのも肯ける話だ。実際、東急電鉄が日本初のオール・ステンレス車の7000系電車を更新改造する際に、製造から25年が経過した車体に荷重試験を行ったところ、溶接部分をはじめ製造時の強度をほぼ保っていたという。
 今回紹介する豊橋鉄道渥美線も、そうした地方鉄道の一つだ。渥美線の主力は1800系電車は、元東急電鉄のステンレス車である7200系電車を譲受したもので、塗装…いや、アクセントとなるラッピングシーツの貼付があることを除けば、ほぼ原型のまま今も使用され続けている。そして、東急沿線で幼少の頃を育った筆者にとって、この電車もまた思い出のある形式だ。本家の東急電鉄では、最後に残った7200系電車(といっても、営業車両ではなく牽引車、電機検測車という事業用車であったが)が2012年2月をもって引退・形式消滅したが、まだまだ現役で活躍し続けるこの車両に、今一度乗ってみたいと思い立ったのだ。昨年(2011年11月)の北海道札沼線に続く、鉄路探訪・遠征第2弾というわけである。
 豊橋鉄道は愛知県豊橋市に本社のある私鉄で、資本体系からいえば名古屋鉄道の傘下にある鉄道会社だ。会社の設立は1924年の大正期で、もともとは市内線と呼ばれる軌道線、即ち路面電車を運営する会社であった。軌道線は現在も健在で、豊橋駅前を起点に総延長5.4kmある。正式には東田本線といい、名称からも分かるように、豊橋鉄道ではこちらの方が本線となっているようだ。
 渥美線は渥美半島を縦断する鉄道として計画され、1924年に渥美鉄道の手によって建設、開業した路線である。高師−豊島間を皮切りに、翌1925年には早くも新豊橋(現在の花田)−三河田原間が営業を開始。さらに1926年には三河田原−黒川原が開業、1927年には新豊橋−花田間を開通させ、全線開業まで僅か3年しかかかっていない。しかし、資金難のために、本来の目的であった伊良湖岬までの延伸を断念せざるを得なくなり、経営悪化から名古屋鉄道に吸収合併している。1954年に親会社である名古屋鉄道から譲受したことで、豊橋鉄道の鉄道線となった。名古屋鉄道が子会社である豊橋鉄道へ渥美線を譲渡した理由は手元の資料では定かではないが、戦時中は不要不急線として三河田原−黒川原間の営業を休止。一部の駅についても営業を休止している。戦時買収による国有化の予定もあったが、終戦によりその話も立ち消えとなり、再開するにしても採算が見込めないことや、もともと名古屋鉄道の手によって開業した路線でないことから、子会社である豊橋鉄道へ移管したものと推測できる。
 戦時中に末端部の一部と幾つかの駅の営業を休止した渥美線であるが、前述の豊橋鉄道への移管とともに、休止となっていた三河田原−黒川原間は豊橋鉄道へ移管されず、名古屋鉄道籍のまま廃止となっている。その後、休止となっていた駅の営業を順次再開させ、新駅も設置して1989年にほぼ現在の姿になっていった。
 渥美線は開業当初から電化されていたが、架線電圧は600Vと国鉄線や名古屋鉄道などの他の鉄道が1500Vであること比べるとると低く、車両の老朽化による置換では、親会社である名古屋鉄道から車両を譲受する際に、1500V対応であったものを600V対応に改造する必要があった。電機にあまり詳しくない人からすれば、「高い電圧に対応するのなら、電圧が低くても壊れないから大丈夫なのでは?」と思われるかも知れない。確かに、その指摘は合っていると思う。主電動機(モーター)などが壊れる心配はないだろう。しかし、もともと高い電圧で出される駆動力を想定して作られたものに、低い電圧を流すと本来の性能が発揮できなくなる。小学校の理科で学習する「豆電球」の実験を思い出してほしい。乾電池2本を直列に繋いで3Vの電圧で電流を流すと、豆電球は明るく光る。豆電球も3Vの電圧で最高の出力が出せるように作られているが、乾電池を1個繋いで電圧を1.5Vにするとどうだろう。豆電球は本来の明るさではなく、薄暗い明かりでしか光らない。これと同じ原理で、電車の電装品も600Vに対応させなければならないのだ。少々理科の学習じみた話になってしまったが、他の地方私鉄が1500Vに昇圧させていった中で、豊橋鉄道の1500V昇圧は意外に遅く、1997年と比較的最近のことである。


▲新豊橋駅はJR豊橋駅から東京方に100mほど東京方に位置している。2008年のリニューアル工事で駅舎とホームを一新し、隣接して「ココラアベニュー」というショッピングモールも併設された。ここに豊橋鉄道の本社もあり、かつての面影はなく、明るいイメージに変貌した。
 豊橋鉄道渥美線に乗りに出かけたのは、ゴールデンウィークも終わって2週目のこと。朝から天気もよく、出かけるには絶好のコンディションだった。もちろん、計画していた頃から天気予報をチェックし、少しでも雨が降るようであれば翌週に延期させていたのだ。せっかく出かけるのであれば、やはり晴天が一番いいのは誰もが思うところ。写真を撮影するにしても、曇天では何となく寂しい感じがしてしまう。もっとも、車両の形式写真の撮影を中心にするのであれば曇天が一番なのだが、今回は本来の「探訪」なので晴天を選んだ。
 そして、今回の遠征では「鉄路探訪」を旨とする筆者にしては珍しく、自宅から豊橋までの往復に、自家用車を選択してしまった。その理由は、東海道新幹線の運賃・特急料金を合わせた旅費が、日帰りだと割高になってしまうためだ。早割などの割引制度もあるにはあるが、思ったより割引率がよくなく、普通に購入した金額とせいぜい1500円程度しか安くならなかったのだ。一方、高速道路はETCを装着していれば、通行料金は休日上限3000円と安く、往復でも6000円。ガソリン代も含めれば10000円程度になると試算できた。これであれば、財布が少々寂しい筆者でも行くことが可能になる。では、東海道本線の普通列車で往復した場合はどうかという話も出てくるが、運賃についてはJR東日本とJR東海のフリーきっぷを巧く組み合わせれば、6000円程度で済んでしまう。ところが、東海道本線の普通列車を乗り継いで行くとなると、片道5時間強もかかってしまうのだ。長期休業時の休暇ならそれでもよかったが、日曜日であることを考慮すると、できるだけ往復の時間は少なくしたかった。高速道路であれば片道4時間弱で豊橋に着くことができる。というのも、今回の行程を選んだ決め手になったのだが、やはり「浮気」はするものではない。後になってすべてが「裏目」に出る羽目になってしまった。
 帰りに「酷い目」に遭うことなど露知らず、東名高速〜新東名高速を乗り継いで豊橋駅に着いたのは午前11時過ぎ。事前に調べておいた、豊橋駅直近のコインパーキングに乗ってきた自家用車を駐めたところから、今回の旅は始まった。
▲リニューアル前の新豊橋駅は、単頭式1面1線という必要最小限の設備しか備えていなかった。地方鉄道の始発駅というイメージにはぴったりと言えばそれまでだが、ここを発着する元東急の1800系電車とはアンマッチにも思えた。(2004年8月撮影)
 ところで、余談になるが、今回自家用車を駐めた駐車場。「JRF豊橋」なる名称のコインパーキングだった。「JRF」というこの三文字、まさかとは思ったが、経営しているのはJR貨物だった。英文略称のJR Freightの頭文字をとった名称で、赤紫色のコンテナに描かれているあの三文字だったのだ。JR貨物が遊休地を活用して駐車場などの副事業を営むことは、筆者が鉄道員であった頃から行われていたが、豊橋駅の近隣に600台規模の駐車場というのはピンとこなかった。後で調べてみると、JRの豊橋駅と、豊橋鉄道の新豊橋駅の間に小さな土地があったが、あまりに狭く利用しにくかったのを、貨物駅・操車場跡地の再開発事業によって、新豊橋駅を移設してできた土地を利用して造られたという。国土交通省の撮影した1977年当時の豊橋駅の空中写真を見ると、確かに貨物上屋らしい建物が、貨物側線とともに新豊橋駅の海側にあるのがわかる。現在では、豊橋駅は書類上、JR東海はもちろん、名古屋鉄道とJR貨物の所属になっていて、コンテナ取扱駅とはなっている。しかし、実際には貨物列車発着の設定はなく、貨物列車の発着線やコンテナホームなどの施設もない。代わりに、西浜松駅までのトラック便が3往復設定されている「オフレールステーション」としての機能をもつ、自動車代行駅になっている。そのため、ある程度の広さをもつ遊休地を活用するために、こうした駐車場を作ったのだろう。そして、駅の隣にある駐車場というのは大正解で、筆者が到着した時にはほぼ満車に近い状態だった。
 新豊橋駅の前に出てみると、あまりの変わりように少々驚いてしまった。以前、この地に来たのは2004年のことで、「青春18きっぷ」を使って大阪へ行く途中に立ち寄ったのだが、その時は渥美線の新豊橋駅は古い木造駅舎だった。ホームも単式1面しかなく、道路沿いに線路があるので停車している電車が間近に見えた。ところが、前述の再開発事業とともに駅の位置も三河田原方(東海道本線でいえば東京方)に移動し、3階建ての駅ビルの中にあった。旧駅の跡地は「ココラアベニュー」という名のショッピングモールと、前述のJR貨物が経営する駐車場になってしまっていた。駅前には広場もあり、明るく開放感があって、以前の地方私鉄の小駅といった印象とは大違いだった。駅ビルの1階にある出札窓口で一日乗車券を買い求めると、さっそく改札を通り抜けてホームへと向かった。
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.