このサイトについて 「筆者」への連絡
支線、本線、再び支線と変遷した都心の大手私鉄ローカル線
その1(亀戸概説、曳舟−小村井) 取材日:2012年6月24日
2012年12月2日初版公開
 東武鉄道といえば、東京から北関東へと伸びる鉄道網をもつ大手私鉄である。本線格として浅草を起点とする伊勢崎線や、池袋駅を起点とする東上線があり、それぞれに支線が枝のように分かれている。総営業キロは463.3kmに及び、日本の私鉄では近畿日本鉄道に次いで第2位であり、関東では最長の鉄道会社である。
 その東武鉄道、実のところ筆者はあまり縁がない。東武鉄道を利用した記憶といえば、草加に住む親戚宅を訪ねるのに、母親に連れられて日比谷線を経由して伊勢崎線を利用したことと、何かのパーティーで知り合った人の家に遊びに行くのに、同じ経路を使って越谷まで乗車したことくらいで、いずれも昔の話である。あとは、田園都市線沿線に住んでいた時代に、半蔵門線が押上駅まで延伸した際に、伊勢崎線とも相互直通運転が開始され、長躯乗り入れてくる東武の車両に乗車する機会があった程度しかなく、厳密には東武線に乗車したうちには入らないだろう。
 そんなわけで、今回訪れた亀戸線も初めての乗車となった。そもそも、亀戸線という路線があること自体、計画をする段階まで知らなかったのである。北関東の鉄道に乗ろうと思い立ち、どの路線かを画策している際に、この亀戸線に興味をもったのだが、結局は都内で済ませてしまったので、所期の目的は達成できずじまいになってしまったのだが。
 亀戸線は伊勢崎線の曳舟駅から、JR総武本線の亀戸駅までを結ぶ3.4kmの短い路線である。広大な鉄道網をもつ東武鉄道では本線、即ち伊勢崎線系統に属する支線で、この短い区間を2両編成の8000系電車が行き来している。都心に近く、最近では東京スカイツリーが近くに開業し、亀戸線が結ぶ両端の駅には、10両編成の列車が行き交い高頻度運転をしていて、人の往来が多いと思われる場所にありながら、このこぢんまりとした鉄道はどこか郷愁が漂う感じがする。
▲曳舟駅のホームからは、東京の新名所となった東京スカイツリーが見える。600mを超えるこの建造物は、近づくにつれてその高さを実感できる。
 曳舟駅に降り立ってみると、伊勢崎線のホームは島式2面4線で、しかも10両編成の列車が停車できる有効長を備え、都心へと乗り入れるには十分な設備をもつ駅だ。ここでは、特急と快速を除く全列車が停車し、急行列車と各駅停車の緩急接続が行われるので、ホームには常に人がいる。ホームも車両の増結に伴って順次拡張されてきたようで、もともとのホームには古レールを活用した上屋があり、その支柱は見事なまでに複雑な形状に仕上げている。ところが、亀戸線のホームは駅のはずれと言っていいほどの場所にあり、伊勢崎線の上りホームの向かいに短い相対式ホームがぽつんとあるといった感じで、都会の中にあるローカル線といった趣である。
 亀戸線の開業は1907年である。1897年に設立された東武鉄道は、東京側の起点を越中島として、久喜までの免許を申請したものの、越中島−北千住間についてはすぐには免許が下りなかった。そこで、1899年に北千住駅を起点として久喜駅までを開業させ、後に吾妻橋駅(後に浅草駅に改称、現在のとうきょうスカイツリー駅)を開業させた。同じく1899年に越中島−北千住間の免許が下りたことで、その一部として亀戸駅−曳舟駅間を開業させ、同時に総武鉄道の両国橋駅(現在の両国駅)まで乗り入れた。一方、本命であった越中島へと続く同区間の開業によりこちらを本線格として扱うことにしたため、東武鉄道は吾妻橋駅−曳舟駅間を廃止させた。
 こうして現在の亀戸線は、かつては東武鉄道の本線となり、総武鉄道への乗り入れたことで、より都心部へと近づいていくことになった。ところが、乗り入れ先の総武鉄道が鉄道国有法の施行によって1907年に国有化されてしまったことによって、都心側ターミナルを再び吾妻橋駅へと戻し、一度は廃止された吾妻橋駅−曳舟駅間を貨物線として1908年に再開。1910年には旅客営業も再開したことで、亀戸駅−曳舟駅間は支線に格下げとなり、両国橋駅への乗り入れも廃止となった。この乗り入れは旅客列車についての廃止で、厳密には貨物列車については乗り入れが継続されていた。というのも、総武本線の東京側起点は両国橋駅のままで、先には隅田川が流れていたがここに橋梁を架けることが行われなかった。千葉県北部の貨物輸送は、国鉄常磐線を利用して運転されたが、両国橋駅へ直接乗り入れる国鉄線はなかった。そこで、常磐線の貨物列車は北千住駅から亀戸線に連絡運輸をすることで、両国橋駅へと貨物輸送をしたためである。この貨物列車の連絡運輸は、1926年に常磐線と総武本線を結ぶ新金貨物線が開業するまで続けられた。
▲曳舟駅の伊勢崎線上りホーム。古レールとH鋼を組み合わせて作った上屋の支柱は、頑丈なまでの造りのようだ。このホームからは浅草行きの列車はもちろん、地下鉄半蔵門線を経由して、東急田園都市線中央林間までの長い距離を走破する列車も発着する。ホーム上に置かれた緑の公衆電話が、歴史のある駅に相応しいような感じもする。奥に止まるのが亀戸線の8000系電車。
 一方、東武鉄道設立当初に起点とした越中島までの延伸は、免許は下りていたものの、この間に線路敷設を予定していた場所の市街化が進んでしまったため、用地買収が困難となってしまった。1910年には免許が失効し、行く手を西平井に替えて延伸を模索したものの、結局は実現することなく今日に至っている。かくして、亀戸線の本線再格上げの計画は潰えて、以後、伊勢崎線と総武本線を結ぶ短い支線として残される形になった。
 曳舟駅に到着した列車は前述のように、8000系電車2両編成という短いもの。東武鉄道の通勤形電車の標準形式ともいえる8000系電車は、最小2両編成から最大10両編成までを組成でき、「私鉄の103系」とも呼ばれ一大勢力を誇った時期もあった。東武鉄道の車両に疎い筆者は、この時になって初めて8000系電車というものについて調べてみたが、編成の組成方法によって分類されるという少し複雑なものに戸惑った。亀戸線で運用されている車両だけに的を絞ると、1M1T(電動車1両+付随車1両の意味)で2両編成を組成する「2R」という分類になるらしい。もちろん、最近の「効率化」の波に押されて、車掌が乗務しない「ワンマン」運転に対応した改造を施されている。
 一通り観察を終えていざ車内へ入ろうとすると、休日の午後にもかかわらずかなりの人が乗っているのには驚いた。2両編成という短い列車を運転するのだから、それほど乗客がいない「都会の中のローカル線」なのだろうと勝手に想像していたが、その想像とはかけ離れた乗車率に驚くとともに、それなりの需要が亀戸線にはあることを知り、もはやローカル線という言葉とはかけ離れた感じがした。
 立客も多く混雑した車内に入ると、座席はほぼ満席の状態で、改めて利用客の多さを思い知る。どうやら、乗客の大半は亀戸駅までの乗車らしく、伊勢崎線とJR線の短絡線としての役割は、想像以上に大きなもののようだ。程なくして運転士の操作によってドアーが閉まると、起動時のショックが少ない滑らかであるが力強い加速とともに、曳舟駅を発車する。
 曳舟駅を発車すると暫くは伊勢崎線と並走し、やがて伊勢崎線は右にカーブを描いていき、亀戸線は左にカーブをして別れていくと地上へと降りる下り勾配になる。ここまでは亀戸線は単線だが、カーブの途中から線路は分岐して複線となっている。亀戸線は全線複線の路線であるが、曳舟駅は駅の配線構造の関係からか単式ホームになっているためだ。もっとも、この辺りが曳舟駅の場内になっていると思われる。
 地上に降りたあたりで京成電鉄押上線の高架橋が現れ、亀戸線の列車はアンダーパスしていくことになるが、京成電鉄押上線の方はといえば、短くても4両編成で、ほとんどの列車が8両編成の列車が頻繁に通過していくから、2両編成でトコトコと走る亀戸線とは対照的だ。もっとも、京成電鉄押上線は8両編成といえども乗り入れ先の都営浅草線や京浜急行線のカーブ曲線の関係から、すべて18m級の中型車である。とはいえ、軌間1435mmと新幹線と同じ線路幅がもつ安定性を発揮するかのように、多少のカーブでも1067mm軌間を採用する他の鉄道とは違い、ある程度の速度を維持したまま通過していくことから、その走り様を例えて「私鉄の暴走族」などという人もいる。
 京成電鉄押上線をアンダーパスした先には、線路の両側にびっしりと建ち並んだ人家の中を進んでいくことになる。もちろん、高層住宅はあまりなくあっても3〜5階建てのマンションが線路から離れた場所にぽつぽつと建っている程度で、建物のほとんどが2階建てないし3階建ての低層のものだ。こうしたあたりに「下町」の雰囲気が色濃くなっている様な気がする。実際、これらの人家や町工場の建物を観察すると、昭和の頃からの建物が多く残っているから、その雰囲気はなおさらだ。下町の住宅街の中を走る電車は、10両や15両といった長大編成の列車ではなく、やはり2両から3両編成の短い列車が似合うと思うのは筆者だけだろうか。
 そんな下町の人家や町工場に囲まれた真っ直ぐに伸びる線路を行くと、やがて小村井駅へと到着する。
▲曳舟駅を亀戸に向けて発車していく8000系電車。2両編成という必要最低限の組成は、亀戸線の利用実態を表しているようだ。それでも、1M1Tという経済的な組成が可能なのが8000系電車の「強み」なのだろう。曳舟駅から押上駅・とうきょうスカイツリー駅にかけては、非常に複雑な配線構造をしている。それに応じるように、出発信号機にも「亀出」「本出」「地出」と誤認識を防ぐ標識が取り付けられている。この複雑な配線をした駅に、ひっきりなしに列車が発着し、同時に地下鉄への乗り換えと緩急接続の便を図るというのだから、そのダイヤ編成もまた複雑なものになるだろう。
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.