このサイトについて 「筆者」への連絡
南北に分断された、高級住宅街を貫く私鉄路線
その1(今津線概説、西宮北口) 取材日:2012年8月7日
2013年2月3日初版公開 2013年3月2日加筆
 今から2年前の3月のこと。一年に一度の大きな行事を終えた筆者は上司から呼び出され、新年度の人事について内示を受けたのだが、まったく予想だにしていなかった新任者の指導担当ということに驚きと戸惑い、そして希望が叶わないという複雑な思いを抱いたものだ。しかし、人事とは書いて時の如く、所詮「人ごと」であるし希望はあくまでも希望。上司がそう命令するのであれば、それに従うほかないのが宮仕えの身の辛いところだ。その頃の筆者は今の仕事について僅か6年目(臨時雇用を含めると7年目だが)。果たして、歳ばかりは重ねているが、今の仕事での経験が浅い筆者に指導担当など務まるのだろうかと思いもしたものだ。二人の新任職員が配属されてきたのだが、ある日、二人のうち関西出身の職員に「関西でオススメの鉄道路線は?」と聞いてみたところ、「京福電車がいいですよ。あとは阪急ですね。阪急の乗客はみんな上品ですから。渡邊さんが行くなら今津線がオススメです」と、関西弁独特のイントネーションで教えてもらった。
 阪急電鉄今津線のことは、筆者もおぼろげながら知っていた。小学生の頃に図書館で手にした本に、今津線を紹介した著述を読んだことがある。確か、どこかの駅に日本では珍しいダイヤモンド・クロッシングと呼ばれる平面交差があるとかで、十字に平面で交差する線路を電車が渡ろうとしている写真を見て、鉄道に十字路だなんてあり得ないとばかりに衝撃を受けたものだった。そんなきっかけで、今津線を訪れてみたいと画策し始めて早2年。漸く計画を実現させるべく、夏季の長期休業を利用して関西の地へと足を運ぶことになった。
 関西への遠征取材は1泊2日で、今津線は2日目に訪れることにした。前日の取材を終えて投宿した京都駅近くのホテルをチェックアウトすると、そのまま京都駅から地下鉄に乗って四条駅へ。四条駅は京都市営地下鉄の駅名だが、地下道で阪急京都本線の烏丸駅に直結している。そして、ほぼ一日を阪急電鉄に乗る計画だったので、「阪急阪神1dayパス」を買い求めることにした。この企画乗車券は磁気カード式だと案内されていたから、筆者は迷わず自動券売機で購入しようとタッチパネルを操作するも、なかなか目的の乗車券を購入する画面に行き着かない。もしやと思い、自動改札機の脇にある有人改札にいた駅員にその旨を申し出ると、「阪急阪神1dayパスですか?もちろん、ございますよ。」と笑顔で丁寧に応えてくれた。代金を支払うと、「はい、こちらになります。一日乗り降り自由です。ありがとうございます。」と、駅員と言うよりはホテルマンのような対応に気持ちのよいスタートが切れた。
 実はこの前日、摂津富田駅で気分を害するような対応に出くわしたのだ。筆者は旅先で入場券を記念に購入するのだが、それは自動券売機で発券されるものではなく、窓口でマルス端末から発券されるものを購入している。ところが、摂津富田駅ではマルス端末をちょこっと操作しただけで、挙げ句に券売機で買えるからそっちで買ってくれと面倒くさそうに言われたのだった。マルス券が欲しいことを伝えると、その駅員はますます嫌そうな顔になり、端末機を嫌々(と見えてしまった)操作して半ば横柄な態度で漸く発券してくれたのだ。こんな対応に愕然とすると共に、これでは国鉄末期のみどりの窓口と同じで、JR西日本は二度の大事故を起こしても会社の体質が変わっていないものなのかと、訝りもしたのだ。それだけに、この朝のラッシュ時にもかかわらず、気持ちのよい丁寧な対応は印象に残っている。
 烏丸駅から梅田駅行きの特急列車に乗ると、心地よい加速と共に西へと向かっていく。阪急電鉄は1435mmという日本では広軌、世界的には標準軌の鉄道で、その軌間のおかげで速い速度で走っても安定した走りをしている。筆者はちょうど車端部の台車がある辺りに立っていたが、とにもかくにもスピードが出ていても多少の揺れはあるものの、どっしりとした感覚だった。それもそのはずで、阪急電鉄の車両が装備する台車は最近の鉄道車両に多く採用されている軽量ボルスタレス式台車ではなく、従来からのボルスタ付台車を装備している。この手の台車は重量は嵩むが、その重量が却って高速走行時の安定感を生み出すのだと筆者は考えている。

▲西宮北口駅は神戸線と今津線が交差する駅で、もともとは「平面交差」がされていたが、1982年に分断されて現在の配線構造になった。今津線で運用される車輌は西宮車庫に所属するため、写真のような短絡線が設置されている。
 西宮北口駅は神戸本線と今津線が直角に交わる橋上駅舎をもつ駅だ。かつては神戸本線と今津線は当駅で平面交差するという特異な線路配置をしていた。両線の列車は、交差する路線の列車が発車あるいは到着してからでなければ発車することができず、しかも列車が正面を横切っていくという光景はなかなか想像できないものだ。この特異な線路配置が災いしてダイヤ編成に制約がついて回り、年々増加する輸送量に対応するための列車増発や増結を困難にしていたという。やがて阪急電鉄は、神戸線のボトルネックとなっている平面交差を解消するべく、1984年に今津線を西宮北口駅で分断することにした。一本の鉄道線路をもう一本のために分断させるというのもまた、日本の鉄道史上稀なことだと思われる。通常であれば片方を高架あるいは地下化して立体交差させるものだが、神戸線と今津線はそうした手法ではなく、今津線を西宮北口駅で分断して解決させたのだ。これは、今津線を甲東園駅付近から西宮北口駅まで連続高架が計画されていたが、計画の遅れから甲東園駅付近に山陽新幹線が開通し、今津線を高架化した場合にこれを超える高さの高架にしなければならないことや、この頃既に西宮北口駅付近の宅地化が進んでいたため、高架工事を行う際に必要な仮用地の確保が困難になったため、やむなく「分断」という方法を選択したためだった。
 その西宮駅北口駅は、神戸線と今津北線が地上ホームで、今津南線のみ高架ホームになっている。橋上駅で、神戸線のホームから改札のあるところに昇ると広々としたコンコースがあり、明るく開放的な印象だ。そこには多数の駅ナカ店舗もあり、その雰囲気も相俟って改札内にいることを忘れさせるほどだ。夏場の暑さから少しでも涼しくしようと、天井に取り付けられた配管からはミストシャワーが放出されていた。
 今津線は阪急電鉄の前身である阪神急行電鉄によって1921年に、宝塚駅−西宮北口駅間を開業させている。開業当時は西宝線と呼ばれていたが、1926年に西宮北口駅−今津駅間の延伸により、今津線と名称を変えている。会社名の通り、開業当初から電化されていたが当時は全線単線であった。それも翌年の1922年に複線化されているというから、当時の経営者の決断力と実行の素早さには驚かされる。もっとも、京阪神には国鉄、私鉄問わず競合する路線がいくつもあり、言葉悪く言えば乗客の奪い合いをしていたという有様だったことを考えると、如何に素早く利便性を高めて集客をするかが重要だったのだろう。事実、京都−大阪間では国鉄や京阪電気鉄道と熾烈な競争が続いており、国鉄は52系電車、いわゆる「流電」を投入して急行運転(現在の新快速)を実施したり、京阪も急行を運転させるなどしていた。一方、大阪と神戸間では阪神電気鉄道と競合していて、京都−大阪間以上に熾烈を通り越していささか陰湿ともいえる妨害工作までしていたというから、如何に自社の鉄道に客を引き寄せるかが至上命題であったことが、こうした決断と対応の早さが求められていたことが窺え、できるだけリスクと責任を負うことを嫌う現代の会社組織や経営者たちとはまったくもって異にしている。
 ところで、今津線は計画とは違うルートで建設されている。当初は門戸厄神東光寺から阪神本線の香櫨園駅を結ぶ路線として計画されていた。その後計画は変更され、最終的には現在の宝塚駅から西宮北口駅を経て今津駅へと至る路線となっている。そして、今津線を建設する際に国から得た免許は軌道法によるものであった。軌道法はその名の通り、併用軌道を主体とする路面電車をはじめ、現在では新交通システムやモノレールもこの軌道法を根拠とした事業免許である。今津線もこの軌道法による免許を取得しているが、これは当時の京阪神急行の前身が、箕面有馬電気軌道という軌道事業者であったためだろう。他にも、関西地域には本来地方鉄道法を根拠とする高速鉄道でありながら、軌道法による免許を得ている例が多数見受けられる。この辺りの事情は定かではないが、恐らくは軌道法を適用した方が規制が厳しくなかったのだろう。そのため、1978年に地方鉄道法に基づく鉄道に変更されるまで、今津線は厳密には「軌道」、即ち路面電車などと同格だったという。
 今津線は営業距離が9.3kmしかなく、片道十数分程度である。阪急電鉄には今津線の他にも営業距離が短い支線がいくつもあるが、特急や準急といった速達列車が運転されているのは、この今津線と千里線だけであり、全線通して運転されているのは今津線だけになる。そして、このうち直通特急は神戸本線から西宮北口駅を停車せず、同駅構内の連絡線から今津線へと転線して、宝塚本線も乗り入れる宝塚駅へ至ることから、二つの本線を結ぶという点でも他の支線とは一線を画している。
▲仁川駅を西宮北口駅に向かって発車していく今津(北)線の3000系電車。今津線は海側にある今津から西宮北口を経て、宝塚に向かう路線総延長9.3kmと短い。しかし、沿線には西宮・宝塚両市の高級住宅街が控え、利用者も比較的多い。今津線は緩やかな勾配が連続しているのも特徴である。
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.