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新たな進化を遂げつつある二つの古都を結ぶ鉄道
その1(奈良線概説、京都) 取材日:2012年8月6日
2013年8月20日初版公開
 前回ご紹介した阪急電鉄今津線を取材することを思い立ち、せっかく関西まで遠征するのならば、可能な限り乗り歩いてしまおうという安易というか、貧乏性がゆえの発想で、計画の段階からいくつかの路線を候補に挙げていた。その中に、JR奈良線(以下、単に「奈良線」という)は最初から候補に挙がっていたのだが、どうして奈良線を選んだのかと聞かれると「なぜだろう」と苦笑いするしかない。取り立てて思い入れのある路線でもないし、京都と奈良という古都を結んでいるからというのが、考えに考え抜いた理由になるのかもしれない。とはいえ、既に首都圏から姿を消して久しくなる103系電車が今も健在だから、もしかすると今一度103系電車に乗ってみたいというのが本当の理由になるのかもしれない。とにかく、この路線総延長34.7kmある一部が複線化された鉄道に乗ることが、2012年の夏に実行に移した遠征取材の出だしとなったのだ。
 実のところ、奈良線には以前にも乗車したことがある。2004年の夏に青春18きっぷを利用して、東京から大阪を普通列車で往復しようという酔狂な旅で、復路にこの奈良線を利用した。当時は今ほど、いやもしかすると今でも「鈍行列車で大阪なんて!」といわれるかもしれないが、有り難いことにほとんど気力と体力が求められる旅に、当時一緒の職場に勤めていた同僚が同行してくれたのだ。おかげで暇を持て余すこともなく、筆者は満足して行ってこられたのだが、その同僚にとってはいい迷惑だったかもしれない。詳しい話は別稿に譲るが、この手の旅に必需品である時刻表をもたず、世の中ペーパーレス、IT活用の時代だと携帯電話の検索サービスを利用すれば何とかなるという、今考えてみれば莫迦な発想のおかげで、使いまくった携帯電話のバッテリーは切れ、その日のうちに可能な限り帰宅するにはどの列車に乗ればよいのかが判らず、奈良線の車中であーでもない、こーでもないと策を練ったために、単に「乗っていた」に過ぎなかったのだ。それから8年。今回はしっかりと車窓の景色や、沿線の様子をしっかり堪能しようと、事前に詳細な計画を立てておいた。反省は生かさなければならない。
 筆者はとにかく朝が苦手で、早朝の新幹線に乗るなどという発想は計画の段階ではなかった。9時頃の列車に乗れば11時頃には京都に着く。そこからあちこちゆっくり回ればいいと思ったのだが、個人旅行形のパッケージツアー商品に組み込まれている列車は、どちらかといえば早朝の一部の列車に限られてしまう。指定された列車以外になると追加料金が発生してしまい、旅行の予算をオーバーしてしまいかねない。とにかく頑張って朝早く起きるか、それとも追加料金を支払ってゆっくり出かけるかの選択を迫られたのだが、たまには早く起きてみるのも悪くないと、品川駅を7時台に発車する「のぞみ」に乗車した。
▲京都駅の新幹線改札口を出るとすぐに奈良線のホームに出ることができる。かつてはこのスロープを降りたホームのみが奈良線のホームであったが、近年の列車増発にあわせてホームも増設されている。
 東海道新幹線で品川から京都まで2時間6分。本当に早くなったものだと感心させられてしまう。筆者が鉄道員だった頃は、東京から新大阪まで3時間ほどかかっていたのだが、高速走行により対応した新型車両の開発と休む間もない増備で、ダイヤ改正を経るごとに運転速度は上がり、所要時間は短くなっていった。新幹線にとってライバルとなる航空機との熾烈な争いを展開してきたわけだが、3時間ではとうてい太刀打ちできるはずもない。とはいえ、列車の運転速度を上げるには軌道、すなわち線路の改良とカーブを減らすことだが、1964年に開業した東海道新幹線は、その設備は古く今さら線形を変えるために建設し直すなど現実的ではない。ならば車輌を変えればよいとJR東海は300系を皮切りに、700系、N700系と次々に新型車両を開発してきた。以前なら、東海道新幹線を走る車輌の形式など一般に知られることもなかったが、現在では時刻表に「N700系で運転」とか書かれているし、鉄道に興味のない方でも新幹線の車両形式をご存じの方が多くなった。世の中ずいぶんと変わったものだ。
 そんなわけで、品川駅からN700系で運転される「のぞみ」に乗車したが、座席に着くと予め購入しておいた朝食とコーヒーを胃の中へ納め、あとはちょうどよく調整された空調と、航空機のエコノミークラスとは比べものにならない、普通車でもゆとりのある座席のおかげでのんびりと車窓を楽しみながらくつろいだ。
 米原を過ぎたあたりから遠く、琵琶湖も見えてくると京都到着のアナウンスが流れ、荷物をまとめて下車の支度を始める。それでもすぐに京都駅へ接近したことを知らせるように列車はスピードを落とし、京都と滋賀を隔てる山科のトンネルを抜けると、ぱっと碁盤の目状に配された京都の街並みが見えてきた。いよいよ遠征取材の開始だと意気込んで、列車から京都駅のホームに降り立つとムワっとする暑く湿気を帯びた空気に包まれ、一瞬にして爽快感と取材の意気込みなど吹っ飛んでしまい、先ずは水分と自販機を探してしまった。それだけ、関西の、とりわけ盆地にある京都の夏は、関東育ちの筆者にとっては予想以上の蒸し暑さだった。
 
 奈良線の開業は1879年にまで遡ることができる。官営鉄道として京都駅−稲荷駅−大谷駅間が開業したが、これは奈良線としてではなく現在の東海道本線の一部として建設された。1872年の新橋駅(旧汐留駅)−横浜駅(現桜木町駅)間に、我が国初の鉄道が建設・開業してから、官営鉄道は東海道に沿って西へ向かって鉄道を敷設していくことになるが、1874年には神戸駅−大阪駅間を開業させたことを皮切りに、東西の両方から鉄道を建設していくことになった。京都駅−大谷駅間もその一つで、現在の東海度本線とは異なったルートを通っていた。この旧ルートは1921年の新逢坂トンネル開通まで使用されることになるが、最大25‰という勾配があり当時の鉄道としては難所でもあった。
 一方、1895年に奈良鉄道という会社が京都駅−伏見駅間を開業させた。次々と延伸させていき、早くも翌1896年には木津駅−奈良駅間を開業させたことで、奈良線が全線開業している。たった2年足らずで新設の鉄道が全線開通するというのは、現在では考えられない早さであるが、建設用地の収容の困難さと、それに伴う莫大な資金が必要としない、言い換えれば現在のように人が住んでいたり、或いは所有していても用途がなかったりするなど、比較的簡単に建設用地が確保できたからだろう。しかし、この奈良鉄道が開業させた京都駅とは、官営鉄道の京都駅とはちがった場所にあったようで、後に七条駅と改称している。
 こうして一気に奈良線を開業させた奈良鉄道であるが、他の関西圏私鉄とともに近畿鉄道合同として、1904年に現在の関西本線など大阪圏の鉄道を建設・運営していた関西鉄道に奈良線を譲渡している。しかし、それから2年後の1907年には関西鉄道も鉄道国有化法の施行によって国有化。当初京都駅としていた七条駅も、官営鉄道の京都駅と統合して廃止になり、ほぼ現在の奈良線のルートが完成している。この頃は奈良線という名称はなかったが、1908年に国有鉄道路線名称制定により、ようやく奈良線という路線名が与えられた。この名称制定により、京都駅−木津駅間が奈良線となり、木津駅−奈良駅間が関西本線に組み込まれている。本来は奈良鉄道の手によって開業された区間も、別の路線に組み入れられてしまっているのは何とも皮肉な話である。


▲京都駅ホーム2態。上は奈良線が発着する9・10番線ホームで、ホームの構造物がH鋼などを使用した軽量かつ近代的なもの。プラットホームも下には待避可能な隙間がある。下は東海道本線が発着する3番線。上屋の構造物は古レールを活用したもので、屋根やその形状など長い年数、風雨に耐えてきた貫禄がある。プラットホームからも、開業当初から使用され続けてきていることを偲ばせるものがあり、客車対応の低いホームに電車対応の高さにする嵩上げがされていることがわかる。

 その後、前述のように1921年に最大25‰を擁する難所を解消するために、新逢坂トンネルを開通させて、東海道本線はルートを変更した。この際に、それまで東海道本線であった京都駅−稲荷駅間が奈良線に編入され、京都駅−伏見駅間が廃止、伏見駅−桃山駅間の旅客営業を廃止し、稲荷駅−桃山駅間の新線開業という、実に複雑かつ多くの廃止と変更が行われ、ほぼ現在の奈良線の形ができあがった。その後、駅の増設などはあったが、基本的には1921年以降、大きな変化はなかったようである。
 ところで奈良線の電化は1984年まで待つことになる。それまでは気動車による運転が主で、さらに遡れば機関車牽引による客車列車が主体だった。今回奈良線について執筆する際に参考として図書館から取り寄せた「国鉄の車両S京阪神各線」(1984年 保育社刊)では、奈良線は気動車主体の非電化ローカル線として紹介されていて、関西の鉄道にあまり縁がなかった筆者も驚かされた。確かに、大都市圏近郊にある国鉄路線ではほとんどが電化され、電車主体の高頻度運転があたりまえだったが、奈良線については気動車化こそは早い時期に行われていたものの、電化に関していえばその例から漏れていたようだ。首都圏でいえば、ちょうど川越線や八高線と同じような状態だったのだろう。とはいえ、1984年の電化は国鉄時代のことなので、やはり沿線の開発とともに需要もあり、時代の要請に応えたのであろう。
 
 予想以上の暑さに早くも汗びっしょりになりながら、このまま荷物を持って取材をすれば間違いなく体力を消耗すると、まずはコインロッカーを求めて広い京都駅を彷徨った。京都駅は東海道本線だけでみるなら中間駅の一つに過ぎないが、山陰本線と奈良線の起点となるばかりではなく、湖西線も事実上の起点として機能し、しかも東海道新幹線や近鉄京都線、京都市交通局烏丸線も乗り入れる一大ターミナルである。JRの在来線だけでもかなりの列車が発着し、山陰本線の特急「スーパーはくと」をはじめ、北近畿方面や関西空港・和歌山方面への特急列車の始発駅であり、さらには大阪始発で北陸方面への特急「サンダーバード」など優等列車も頻繁に発着する。それだけの列車と乗客を捌くので、駅構造も東海道本線だけでも列車が発着する島式3面6線と単式1面1線、それに加え山陰本線用の頭端式3面4線、奈良線用の頭端式2面3線と実に多くの線路とホームがある。その分だけ構内も広く、人の往来も多い。コインロッカーの場所がわからないばかりか、自動販売機にさえたどり着くのがやっとという有様で、旅慣れているとはいえやはりこれだけ大きな駅、しかも遠方でほとんど縁がない駅となれば、勝手もわからないというものだ。
 やっとの思いでコインロッカーを探し当て、必要最小限の荷物だけ残してほかはロッカーに放り込むことができると、次に奈良線の発着するホームへと急いだ。
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