このサイトについて 「筆者」への連絡
新たな進化を遂げつつある二つの古都を結ぶ鉄道
その5(木幡−宇治) 取材日:2012年8月6日
2013年11月4日初版公開
 木幡駅の周辺は住宅地が広がり、ここで数名が下車していった。入れ替わりにほぼ同じ数の人が乗車してきたが、それでも車内は空席がある程度しか乗客がいない。この木幡駅から西に300mほど歩いたところに、京阪宇治線の木幡駅があり、記録に残っている2011年度の乗車人員を比べてみても、奈良線の木幡駅が1日平均998人であったのに対して、京阪宇治線の木幡駅は1,163人と差を開けられている。やはり、列車の運転本数の違いが利用者の足を遠のかせているのだろう。奈良線は単線区間を抱えているが故に運転本数が必然的に少なくなるのは仕方がないにしても、この木幡駅を含めて沿線が京都市のベッドタウンとなってきていることを考慮しても、このままの状態でいることは利用者を逃しているようなものだといえる。
 木幡駅で上り快速列車がの待ち合わせとなり、列車が到着するとドアが閉まって再び走り出した。車窓には戸建ての住宅が多く建ち並び、その中に取り残されたようにぽつぽつと畑が見えてくるあたり、かつては広大な農業用地が広がっていたことが想像できる。そんな中を築堤を駆け上がると、南に向かう直線にさしかかった。列車は緩い勾配を上るためにモーターの音を唸らせながら加速していき、築堤の上まで来ると100km/h以上の早さで駆け抜けていく。
 こうして快走する列車の中で、筆者はノートにメモをとっているのだが、その文字たるやおよそ人にお見せできるものではない酷い字になっていった。もはや後で読み返すことができるのだろうかと訝るほどの、文字通り「ミミズののたくった字」となってしまっている。それというのも、この列車の運転速度に密接に関係しているといえる。
▲103系電車が装備するDT33台車とほぼ同じ構造のDT22形台車。枕ばね、軸ばねともにコイルばねを使用し、鋼板プレス成形材を溶接組立した軽量台車であ、多くの国鉄車両に装備された。しかし、現在のような高速運転を考慮しない設計だったために、100km/h走行になると予想以上の動揺が発生する良くも悪くも「国鉄による、国鉄のための台車」である。(写真はキハ30形に装備されたDT22形)

 奈良線の普通列車のほとんどで使用される103系電車は、旧国鉄が首都圏および京阪神の通勤路線で使用することを前提とした設計で、短い駅間を低い速度で運転が可能な性能を持っている。設計上の最高速度は100km/hであるが、国鉄当時の通勤路線はこのような速度で運転することはなく、実用上は95km/hであった。そのために、台車も枕ばねを金属コイルばねを使用し、軸箱支持も同じく金属コイルばねを使用したウィングばね式というもので、当然高速運転を前提としない設計だった。同時期に製造された国鉄の車両でも、100km/h以上で運転することが前提だった車両には、高速運転に対応した設計のもの、枕ばねを空気ばね式としてよち乗り心地にも配慮した台車を装備させていたが、通勤電車である103系電車にはその必要がなかった。当然、国鉄時代にはそれに合わせたダイヤが組まれていてさしたる問題にもならなかった。
 ところが、分割民営化以後、特にJR西日本の管内では各路線の相次ぐスピードアップが施策となる反面、車両については国鉄から継承した車両に延命措置を施して使用を続ける方針となり、台車のブレーキ装置を110km/hに対応させる改造のみに留まらせ、ほかの機構についてはそのままで使用することになったとたん、問題は顕在化してきたといえる。そう、100km/hを超えると極端に揺れが酷くなるのだ。筆者もどんなものなのだろうと、一度は体験してみたかった…体験してみないことには何も書けないので…が、その揺れたるや想像以上に酷いことに驚いた。もちろん、列車の揺れ、すなわち動揺に関していえば単に台車の構造に由来する性能だけでは語ることができず、背景となるものの一つに線路の保線状態の良し悪しも関係してくる。線路を構成する動床と呼ばれる基盤部分やレールを支持するバラスト(砕石)の突き固め具合にも左右されるものだが、110km/h運転を前提とした線路であれば、その保線状態もそれなりに保たれているはずである。そう考えると、やはり運転速度に台車の性能が追いついていないと解するのが妥当かもしれない。ある書物に、「良くも悪くも、国鉄による国鉄のための台車」という文章が書かれていたが、まさにその通りだということを実感した。
▲車窓から眺めた宇治川。訪問した前後はずっと晴れていたので流れは穏やかだった。川の水も思った以上にきれいで、河川敷にはつりを楽しむ人の姿も見られた。宇治川を渡河すれば、宇治駅に到着する。
 今にも乗り物酔いしそうな動揺、上下左右にシェイクされそうな揺れが収まると、ようやく台車本来の性能が維持できる速度まで落ちたようだ。それまで奈良線とは間隔を開けるようにしていた京阪宇治線の線路が右手に合流してくると、列車は速度を落として黄檗駅へと到着する。
 黄檗駅は京都駅から一つ目の東福寺駅と同様に、京阪電気鉄道と同じ位置に駅がある。駅の歴史も同じようなもので、京阪宇治線の黄檗駅は1913年の開業と歴史が古い。一方、奈良線の黄檗駅は1961年に開業で、木幡駅−宇治駅間に新駅を設置した格好だった。こうしたあたりに、奈良線沿線がベットタウンとして開発され始めていたことが窺われる。京阪宇治線の黄檗駅との間には連絡通路のようなものはないようで、それぞれの駅にそれぞれの改札があるのは、東福寺駅と同じだ。ホームはそれぞれが隣接しているのだが、乗り換えには少々不便な格好になっている。どうやら、両社の間に乗り換えの利用客の便は考慮されていないようだともいえる。このあたりが、関西圏のJR、ひいては国鉄と私鉄の間にある、熾烈な競争意識の表れなのかもしれない。関東圏ではたいてい乗り換え利用の便を考慮した駅構造になっているのだが、そこは「所変われば品変わる」とでもいうのだろう。
 相対式2面2線の上下列車交換可能な設備を持つ駅構造で、ここでも下り普通列車との交換があった。ここでの乗車はなかったが、逆に降車する乗客の姿もあり、車内はいよいよ空席が目立ち始める。この交換設備は最近増設されたようで、残念ながら1線スルー構造とはなっていないため、通過する快速列車は速度を落としての通過となるようだ。
 列車は黄檗駅を後にし、再び加速していく。ほぼ直線に続く線路を気持ちよくスピードを上げていくと、再び「あの動揺」が始まった。ここまでくると、もう楽しむよりほかはないと筆者も諦めた。
 住宅が建ち並ぶ中をうぐいす色の103系電車が走り抜け、奈良線の線路と並走していた京阪宇治線が右側に離れていくと、京滋バイパスをオーバーパスする。京滋バイパスは名神高速瀬田東ジャンクションから、同じ名神高速大山崎ジャンクションまでを、大津、京都の両市を避け、宇治市を通る自動車専用道で、この日もかなりの車が行き交っていた。
 次の宇治駅までは直線が続き、カーブも比較的緩やかななものしかなく、線形もよい方なので、列車は可能な限り速度を出している。京滋バイパスを越えて、開けた住宅地の中を走り抜けると宇治川の橋梁を渡る。市街地の中にある築堤の上をいくと列車は宇治市の中心駅となる宇治駅のホームに滑り込んだ。
 
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.