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新たな進化を遂げつつある二つの古都を結ぶ鉄道
その7(新田−長池) 取材日:2012年8月6日
2013年12月23日初版公開
 新田駅は相対式2面2線の構造で、東側には幾つかの線路が敷かれていて、そこには保線用車両が留置されている。車中からの観察だったので詳しいことまではわからないが、恐らくは京都保線区の管理室が置かれているのだろう。マルチプルタイタンパーや砕石を運搬する無車籍の無蓋貨車や、それを牽引するためのモーターカーが留置されていた。
 鉄道というとどうしても見た目にわかる車両や列車、駅などを思われがちだと思う。かくいう筆者も以前は鉄道員だったというと、まずもって「運転士さんだったの?」と訊かれる。そうでないと答えると、次は車掌、そして駅員という順だ。しかし、列車が走るためには線路がなくてはならない。その線路がしっかりと維持管理されていなければ、安全で速い列車の運行は叶わない。そして、信号や通信設備といった保安設備や、電化区間であれば架線(正確には「電車線」という)や駅などの照明といった電力設備も重要な要素である。筆者はその電気設備の技術者だったので、保線技術者と一緒に仕事をする機会が多かったせいか、こういった目に見えない「根幹」を支えるところにも目を向けがちになる。
 この記事を書いているおよそ1か月前、残念なことに線路設備を規定通りに維持管理されていなかったことが原因による脱線事故が起きた。そのニュースに接するたびに、鉄道員であった頃に教わり誇りとしていたものが音を立てて崩れていったような気がしてならなかった。安全に輸送をするという鉄道の使命はいったいどこへいってしまったのだろうと訝りもしたものだ。最近の鉄道事故はとにかく、「過信」が招いているといってもいいだろう。コンピュータが発達し、鉄道の現場にも大いに入ってきている。しかし、コンピュータは所詮人間の命令通りにしか動かない。目で見て感じて、そして考えて行動できるのは人間の他になく、そうした現場で最後の砦となるのはやはり人間だと思う。人件費をコストと捉え、必要以上に人員を削減すればどこかしら隙間が生まれるもの。鉄道を巨大なシステムとして捉えることができれば、手を抜くことも許されないと思う。
 話は随分それてしまったので、もとへと戻そう。
 新田駅は典型的な都市郊外の駅といった様相で、駅周辺には住宅もまばらに建っている程度。しかし、中小規模のマンションがちらほら建っているあたりを見ると、これから開発されて分譲されていくのだろう。そのことを示すように、新田駅の1日平均乗車人員は2000年度の1,923人を底にして、年々増加の一途をたどり2011年度には2,954人と1,000人近く増加している。この数字が、奈良線沿線の人口が増えていることの表れであり、そしてベッドタウンとして機能していることを物語っていると思う。
 
▲宇治駅を過ぎると車窓の景色も徐々に変わり、農業用地が主体になってくる。建ち並ぶ住宅もまた、古くから存在しているであろう木造の家屋である。壁面の板張りが褪色して模様をつくっていることからも、経年が高い建築物であることを窺わせる。
 新田駅を発車すると、列車は比較的直線の続いた線形のよいところを南へと向かっていく。車窓から見える景色はどちらも低層の住宅と、時折残されたかのようにある雑木林、そして僅かに残った小さな農地だ。左側の車窓の奥に見える山々は、山城と呼ばれる地域で底には京都府が運営する山城総合運動公園があり、陸上競技場などがつくられているという。とはいっても、列車からその様子が見えることはなく、木々に覆われた小高い山としか映らない。
 やがて住宅が多く見え出すと、列車は速度を落として城陽駅へと到着する。
 城陽駅は城陽市の中心となる駅で、奈良線の運転系統を区切る駅でもある。京都からの普通列車は日中毎時4本が運転されているが、このうち2本はここ城陽駅止まりとなり京都へと折り返していく設定だ。そのために駅の設備も他の駅に比べて規模は大きめかと思えばそうではなく、相対式2面2線の構造と変わらない。京都からの普通列車が城陽駅に到着して折り返しの時間をとっても、他の列車の運転を阻害することがないというのは、運転本数の少なさもさることながら、城陽駅から奈良方はそれほどの需要がないということなのだろう。とはいえ、1日平均3,000人以上が乗車する駅だけあって、1958年の開業時に造られた駅舎は1991年の奈良線改良時に改築され、今では近代的な橋上駅車となっている。
 筆者が乗ってきた普通列車は奈良行きだったので、ここで折り返すことなく奈良へ向かって南進を続けていくことになる。
 城陽駅を発車して暫くは住宅地の中を走っていくことになるが、西側を並走している京都府道69号線が線路際に迫ってくるあたりから様相が一変する。右手には広大な農業用地が広がり、左手には造成中で赤い土をさらけ出したままのところや、未だ人の手が入らずに残った雑木林が見えるようになる。このあたりで減そうする道路も国道24号線と変えているが、取り立てて変わることなく片側1車線の道路には疎らに車が走っているのが見える。
 その国道24号線との並走もごく僅かで、奈良線の線路は大きく左にカーブをして東へ向かって走るようになる。再び線路の両脇には住宅が見えるが、所々に農地を抱えたような感じの住宅で、昔からの町並みもちらほらと見えてくると、次の長池駅へと滑り込んでいく。
 長池駅も相対式2面2線の交換可能な設備をもつが、前述のように城陽駅以南は日中毎時2本の普通列車と、同じく毎時2本の快速列車が運転されるのみで、日中に限っていえば過剰な設備にも見えるが、朝夕のラッシュ時には活かされているのだろう。快速列車は通過するので、ここへ来るためには普通列車か区間快速に乗ることになるが、乗ってきた奈良行き普通列車が長池駅へ到着すると、かなりの数の乗客が降りていってしまった。駅周辺にはとりたてて有名な観光スポットがあるわけでもないので、恐らくは地域の住民の方々なのだろう。城陽駅と比べても利用者数は3分の1位に満たない長池駅での多くの降車は、その後の車内をがらんとさせてしまうには十分だった。
 ところで長池駅の開業は1896年で、奈良鉄道の桃山駅−玉水駅延伸時に開業している。一つ京都方にある城陽駅が運転系統を分ける重要な駅であるのに対し、長池駅は歴史こそ古いものの中間駅の一つでしかない。しかし、駅周辺や線路際の町並みを見る限り、こちらの方が古くからある町のようだ。そんな古い町の中に、2012年5月から真新しい橋上駅舎が完成し供用が始められた。それというのも、かつては地上駅舎だった長池駅は線路とともに町を分断していて、地域の住民にとっては不便を強いていたようだ。しかも近くに踏切があるわけでもないので、仕方なしに線路を横断する「勝手踏切」が存在していたようである。とはいえ、危険性があるのは間違いない。そこで、城陽市が中心になって整備が進められたのが新しい橋上駅舎なのだ。
 そんな長池駅から乗車する人はなく、がらんとしたままの普通列車の扉は閉まり、奈良へ向かって走り始めた。
 
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