鉄路探訪 特別編「青春18きっぷ鈍行旅行記2004・復路編」その1(大阪−奈良)
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特別編
その1(大阪−奈良) 2004年8月9日 取材
2011年11月27日 加除訂正
 復路となる2日目、今度はうってかわって快晴だった。しかし、大阪の朝がそうなのか、それとも通り過ぎた台風の影響なのかわからないが、照りつける太陽の陽射しは強くても蒸し暑さが感じられない、カラッと爽やかな朝だ。東京のじっとりとしたまとわりつくような暑さを想像すると、帰路に就くのがおっくうになってしまう。そうはいっても、帰らないわけにもいかないからこれが辛い。世間様は筆者のような職業を持つ人に、もの凄い厳しい視線を浴びせていますから。
 さて、このとんでもない旅に同行してくれている彼女(といっても、名前を伏せるための「彼女」という意味)とホテルで朝食をとった後は、徒歩で大阪駅へ。さすがに体力に自信があった彼女も、10時間も列車に揺られるという狂気に満ちた行程に、さすがに疲れを隠しきれないようだった。しかも、復路も同じように普通列車を乗り継いで行かなければならないともなれば、さぞうんざりしていたことだろう。この旅を企画した筆者ですら、帰路は億劫になっていたのだから。
 それにしても、大阪の自動車の走りッぷりのすごさといったら、それはもう東京などカワイイものだ。信号が変わっても平気で交差点内に入ってくるし、あろうことかそのまま居座って渋滞につっこんだまま、交差する道路の進行を遮ってもドライバーは他人事のように涼しい顔をしている。東京なら喧嘩になっているようなことでも、大阪の人って平気なのだろうか。
 そんな度肝を抜かれるような光景を目の当たりにしながら、大阪駅へと到着。少し早めではあったが、遅れるよりは全然いいということで、少々大阪駅の構内で見学。と、思ったらそうもいかなかった。平日+夏休みというおとで、大阪駅構内は混雑していて、しかも通称USJ、ユニバーサルスタジオ・ジャパンに通じる環状線ホームに至っては、遅めの通勤客と行楽客がちょうどぶつかっていて、収集もつかぬほどの大混雑ぶり。考えてみれば、大阪駅は関西のターミナル駅だから、これだけ混んでいても不思議ではない。
▲大阪環状線の103系電車。体質改善工事が施され、耐用年数を30〜40年に延長している。JR西日本はもう暫くは、国鉄形車両を使用し続けるようだ。
 ところで大阪駅に着いたはいいものの、実のところ復路の行程をどうするかで筆者は頭を抱えていた。そのまま来た道を戻るのが一番無難で安全で確実だ。だがそうなってしまえばこの記事もここでお終いになってしまう。少しは手を加えて来た道と違う道を辿って戻るのがやはり18きっぷ紀行の面白さなのだが、いかんせん翌日からは通常通りの勤務が控えているから、あまり遅くに帰着するわけにもいくまい。
 前回(といっても、もう10年ほど前の話だが)は、天王寺から関西本線をひたすら名古屋に向けて乗り継いでいったが、この時は帰着の時刻にそれほど制限があったわけでもなく、ただ乗り継いで東に向かえばよかった。今回は一人ではなく同行してくれる同僚もいるし、明日からまた仕事があるから、前回のようにはいくまい。
 結局、復路については奈良線経由で京都に向かい、途中新幹線ワープを使い、当初予定していた御殿場線周りを断念するというコースで落ち着いた。もっとも、同行している相方は「徹底したい」と全行程普通列車にこだわった。さすがにこの「こだわり」に筆者は正直驚いた。というのも、それほど鉄道好きではなかったのだが、旅をするうちにおもしろさを感じてくれたのだろうか。
 とはいえ、何度か経験のある筆者が却下し、米原−名古屋に限って新幹線ワープすることで妥協してもらった。というのも、奈良線から京都を経て、東海道本線の米原まではそれほど列車の本数には困らないが、どういうわけ米原から大垣までの本数は極端に少なくなるのだ。もちろん、需要がないからと言われればそれまでなのだが、それにしても天下の東海道本線というにもかかわらず、日中は1時間に2本なのだ。やはり、近鉄名古屋・大阪線の方が1時間に1本も特急が走り、しかも運賃、特急料金ともに安価ともなれば、自然と乗客はそちらに流れているのだろう。しかも、東海道本線は関ヶ原をまわって岐阜に入るルートで、それほど人口の多い地域を走っているわけではないから、自ずと列車の運転本数も減るというわけだ。そして、このまま東海道本線の普通列車に乗って名古屋へ向かえば、ゴール到着は22時近くになってしまう。
 ようやくルートが決まって、復路は大阪環状線からのスタートと相成った。
 感状運転をする鉄道といえば、まず最初に山手線が頭に浮かぶ方が多いだろう。うぐいす色の電車が1周60分ほどの殺人的な混雑をする路線だ。対して西の大阪環状線は、オレンジ色の電車で1周は、何分だっただろうか?ただ決定的に違うのは、山手線がただひたすらにぐるぐる回っているだけなのに対して、大阪環状線は「環状線」という名を冠しているこそ、その実は天王寺や京橋、西九条といった駅から枝線への直通運転を行っているのが最大の違いだ。そうなれば、運行形態は当然のごとく複雑になっていて、慣れなければわからないが、私鉄との競合激しい地域だけあって利便性と速達性の向上は、JR西日本のアーバン・ネットワークにおいてはまさに宿命なのかもしれない。
 10時04分に復路第1ランナー、通算第9ランナーとなる大和路快速・加茂行きが到着した。大阪環状線から天王寺を経て関西本線へ直通する快速列車だ。もっとも、ご当地では関西本線とはいわず大和路線という名称が一般的のようで、駅構内の案内板にも通称名が示されている。やはり、利用客にわかりやすくというのでJR西日本もそれなりの努力をしているようで、そして利用客の側もそれを受け入れ定着しているのだろう。
 入線してきたのは221系の6両編成だ。221系といえば、JR西日本が最初に設計・製造した車両。界磁添加励磁制御で車体は鋼製というもので、取り立てて目新しい技術はないが、それでも車内設備など転換式クロスシートを採用し、東海道本線の新快速を最高で120km/h運転に引き上げるなど、当時のJR西日本の切り札として登場した車両だ。かつて、筆者が同様の行程で大阪を訪れたときには、米原から大阪まではこの221系で運転されている新快速に乗ったのだが、223系が増備された今となっては、周辺各線での快速運転に活躍の場を移しているようで、大阪近郊では結構あちこちでお目にかかれるらしい。

▲関西本線(大和路線)に直通する221系電車。大阪環状線から放射状に伸びる各線への直通運転が頻繁に行われ、その運転形態も複雑である。乗り慣れていないと、誤ってどこへ連れて行かれるか分からない。221系電車はかつては東海道本線の新快速で使用されたが、現在はその役割を223系に譲り、各地に配置換えをして国鉄形を置き換えつつある。

 車内に入ってみると、通勤ラッシュ時間帯を過ぎたのかそれとも奈良方面へいく客が少ないのか、意外と空いていて好きな座席に座ることができた。車内は若干の経年変化によるものは仕方がないのだが、それでも登場時と同じく転換式クロスシートがずらりと並んでいて、かつて東海道を疾駆した時と変わりがないようだ。なにより、窓も大きくて明るい。
 列車は大阪を発車すると環状線内は速度を抑えているようだった。それもそのはずで、山手線内に快速列車を走らせているようなもの、必然的に速度を抑えざるを得ないようだ。そのお陰か、環状線沿線の風景を満喫することができた。天王寺駅構内へ入線してくる頃になると、更に速度制限が加えられたらしく、45km/h程度のスピードしか出せなくなった。ここは多くの線路が分岐するところのようで、構内配線も複雑そのもの。いくつかのポイントを渡り、くねくねとしながらようやく天王寺のホームに滑り込んだ。どんな線路配線をしているかは興味があるが、やっぱり配線図なんかは手に入らないだろう。
 天王寺を出発して大和路線(関西本線)にはいると、今度は一変してスピードが上がっていく。列車本数も環状線に比べたらぐっと減ったこともあるようだが、環状線はカーブの連続だったのが大和路線では直線が多くなったこともあるようで、モーター音を響かせながら本来の高速性能を遺憾なく発揮させ、猛スピードで東に向かって疾駆していく。それとともに、車窓から見える景色も一変し、環状線では住宅や工場、商店などがひしめき合うように立ち並んでいたのが、そうしたものはあまり見えなくなり、のどかな風景が目に入ってきた。時折、大きなマンションが見えたりショッピングセンターが見えたりする程度で、それも駅周辺だけにそうした建物があるようだった。隙さえあれば、傾斜地だろうが何だろうが、構うことなくマンションをやたらと建てる首都圏とは大違いだ。
 奈良に近づくにつれて、大きなマンションすら目に入ってこなくなった。さすがに京都に並ぶ古都。町の景観にはことさら煩いのかもしれず、無秩序な乱開発がされている様子は、車窓からは見あたらない。やはり、開発を抑えて光景を守ることも大切だな、なと度実感しながら筆者はとても気に入ってしまった。できれば住みたいものだが、そうもいかないか。第一、通勤が無理だ。
 程なくして奈良に到着。駅舎は新聞やテレビで報道されていたとおりに、本来の位置から移動しているのがホームからも見えた。乗ってきた大和路快速は、ここで増結の2両を切り離して、終着の加茂へと向かって発車していった。
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