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国鉄キハ20系気動車
JNR Type KIHA-20 Deisel Car
▲戦前製機械式気動車の置き換えと、国鉄の動力近代化による無煙化推進の旗手として大量に製造されたキハ20系気動車。かつては全国の非電化路線では必ずと言っていいほど見かけるポピュラーな存在だった。製造から既に半世紀近くが経ち、年々その数を減らしていき2010年に、JRでの在籍はすべてなくなり廃系列となったが、いすみ鉄道に譲渡された1両が今なお活躍を続けている。(2013年6月30日 上総東駅)
 戦前より非電化の国鉄線は、蒸気機関車牽引による客車列車が主流であった。しかし、蒸機運転による列車は終着駅での機関車の方向転換が必要であり、方向転換が必要のないタンク式蒸機は燃料搭載量が限られるなど、数多くの制約がつきまとっていた。国鉄の全市である鉄道省をはじめ、非電化の地方私鉄はこれらの制約がない気動車の開発を行うが、満足な性能を持つ車両の開発には困難を極めた。そんな中で、ガソリンエンジンを搭載したガソリンカーを開発する。しかし、西成線列車脱線火災事故でのガソリン燃料の危険性や第二次世界大戦による燃料統制から、ガソリンカーの開発は途絶えていく。一方、ディーゼルエンジンを搭載したディーゼルカーについても開発が進められていたが、当時の技術では困難な面が多く、1936年に機関出力150PSのDMF17形が実用に達したことで、キハ42000形にDMF17形を搭載した基は42500形が登場した。だが、こちらも第二次世界大戦による燃料統制などの事情から製造禁止となり、日本の気動車開発は途絶えることになる。
 戦後、石炭燃料の品質低下や無煙化の推進を図ることから、気動車の開発が再開することになり、より近代的な設備をもつキハ10系が1953年から製造されることになる。しかし、DMF17形の出力が非力なこともあり、車両重量を軽減させることを余儀なくされ、車体全長20mで外観こそ客車や電車に劣らないものの、車体断面がこれらより小さくすることや、台車についても枕ばねを防振ゴムブロックを使用し、台車枠を鋼板プレス構造とした気動車用軽量台車であるDT19/TR49を装備したが、その一方で居住性が犠牲となってしまっていた。
 一方、1955年に製造が始められたナハ10系客車は、それまでの客車とは異なる鋼製軽量客車であった。車体をモノコック構造とし、プレス鋼板による溶接組立台車は十分な強度を保ちつつも、車両重量を大幅に軽減させることに成功した。このナハ10系客車の成功により、軽量車体製造技術を気動車へ活用することで、選択の余地のないエンジンはそのままに、電車・客車並みの車体と設備をもつ気動車として1957年に開発したのがキハ20系である。
 キハ20系は1965年までに1,100両以上が製造され、一般形気動車の主力となり得た。製造当初は側窓が上段固定・下段上昇のいわゆる「バス窓」で、台車もDT19/TR49を装備し、エンジンもDMF17B形(150PS)であったが、後に改良型として側窓が上下段上昇式に変更、台車も複列コイルばねを枕ばねにした101系電車と同一構造をもつDT22/TR51を装備、さらに機関出力180PSとなったDMF17C形を搭載するなど、外観・性能ともに近代化された。
 車内設備は車体断面が大型化したことにより居住性が高められ、客車とほぼ同じ幅のボックスシートと、ドア付近をロングシートにしたセミクロスシートとなり、照明も当初は白熱灯であったが、後に蛍光灯へと変更され、窓の変更も相まってより明るいものとなった。
 両運転台形のキハ20形をはじめ、方運転台車のキハ25形、酷寒地向仕様のキハ21・キハ22形、郵便荷物合造車のキハユニ26形など数多くのバリエーションが製造された。
 1987年の国鉄分割民営化まで地方非電化路線の主役として地域輸送を支え、後継となったキハ45系やキハ40系とともに多くがJRへ継承された。特に両運転台車のキハ20形や、酷寒地仕様のキハ22形は小回りが効くことから多くが継承された。一方、方運転台車のキハ25形や郵便荷物合造車のキハユニ25形・キハユニ26形は分割民営化までに廃車となりJRには継承されなかった。さらに2機関搭載の強力型であるキハ52形は後継車両の登場まで重用され、輸送密度が低く、かつ勾配区間が多い肥薩線や米坂線などで使用されたほか、製造から半世紀近くが経った2010年まで大糸線で使用されていた。
 2013年現在、JR各社に車籍を残すキハ20系は皆無であるが、ごく一部が同型車を含めて地方私鉄で活躍を続けている。しかし、基本設計が古く、特にDMF17形エンジン自体が戦前の設計を踏襲していること、製造から既に40年以上が経つ車齢の高さから、徐々にその姿を消しつつある。

■キハ20形
 キハ20系の基本となる両運転台車。戦前製の機械式気動車の取替と重なり、最も多く製造された。1993年までにJR線上では全車廃車、形式消滅した。なお、国鉄およびJR四国から水島臨海鉄道に4両が、JR西日本から水島臨海鉄道を経てひたちなか海浜鉄道に1両が譲渡され、2013年現在も在籍している。

■キハ21形
 キハ20形の側窓を二重窓化や運転台にデフロスタの設置、床下機器の耐寒・耐雪装備を施した寒冷地仕様車。車体構造がキハ20形と同じであるため、登記の車内保温に問題があり84両が製造されたのみで終わった。

■キハ22形
 キハ21形の反省を踏まえて、より本格的な耐寒・耐雪設備を装備した酷寒地仕様車。客用扉を車端部へ移し、登記の車内保温を考慮して客室との仕切扉を備えたデッキ付構造とし暖房設備を強化している。側窓も一段上昇式の小型二重窓としたほか、床板は木張りとして断熱材の厚くしている。このため、一般仕様車と比べて床面がレール面より50mm高くなり、その分だけ側窓や客用扉窓なども高い位置になっている。

■キハ25形
 キハ20形を片運転台に仕様にした車両。後位車端部に便所が設置された。

■キハユニ25形
 寒冷地仕様の郵便荷物合造車。運転台は前位のみで、運転台・荷物室・郵便室・客室の順に配置されている。キハ21形を基本としたため1-6はデッキをもたない構造で、側窓もバス窓となっている。6の消失による代替えで製造された7は酷寒地仕様車となり、キハ22形を基本としたため客用扉は車端部へと移されデッキ付となった。

■キハユニ26形
 暖地仕様の郵便荷物合造車。キハユニ25形と同様に、運転台・荷物室・郵便室・客室の順に配置されている。

■キユニ21形
 キハ20系唯一の改造によって設定された形式。キハ21形を種車に、車体中央に設置された排気管を境に、前位を郵便室に、後位を荷物室に改造した。

■キハ52形
 キハ20系唯一の勾配区間用2機関搭載車。両運転台で基本的にはキハ20形と同じであるが、エンジンを2基搭載したために車体全長が21.3mと長くなり、その分側窓も6個に増やされている。キハ20系では最も最後までJRで運用された形式で、2010年8月のJR西日本の大糸線での営業運転を最後に運用を終えた。また、JR東日本の新津運輸区に所属する車両は、2009年を最後に運用を離脱し保留車となっていたが、2011年に廃車となったことにより、キハ20系の系列消滅となった。なお、JR西日本からいすみ鉄道へ1両が譲渡され、営業運転に復帰した。
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