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国鉄60系客車
JNR Serease 60 Passengers Car
▲60系客車の車内は、現在では考えられないほど非常に簡素な造りとなっている。背もたれは木製、客室内壁はニス塗りという普通列車に特化したものだ。往時の鉄道での移動する際の「苦労」が窺われる。(2011年76月18日 オハユニ61 107)
 戦後間もない1947年に八高線で発生した列車脱線転覆事故は、多数の犠牲者を出した戦後二番目大事故となった。当時のローカル線における普通列車は戦前製の老朽化した木製客車が当たり前のように使用されていたが、鋼製客車に比べて強度に劣り、そのことが多数の犠牲者を出す要因になっていた。
 この事故を受けて、木製客車を鋼製客車に置き換えることが望まれたが、戦後間もない混乱期でインフレーションの進行や、鉄道車両の新製に消極的なGHQ/SCAP(連合国軍総司令部)の方針で、鋼製客車の新製は望めない状況にあった。そこで、木造客車を種車として鋼製車体へ改造して登場したのが60系客車である。
 改造は5両の木造客車の台枠から、20m級の台枠を4両分を造るという手法で行われ、車体については新しく製造された鋼製車体を載せた。一方で、車内は普通列車での使用を前提としていたことから、必要最低限の接客設備に抑えられている。具体的には、ボックスシートの背ずりは木製の板とし、クッションを備えてなく、シートピッチも1335mmと木造車並とした。また、客室内壁も壁板のままニス塗りした程度で、荷棚の金具などは種車となった木造客車の部品を再利用するなど、文字通り「必要最低限」に抑えられている。
 台車はイコライザー式のTR11形を装備。これは、鋼体化改造車の標準台車として設計されていたが、車体が20m級の大型となったために高速走行時の動揺が酷かったという。
 改造によって登場した60系客車は、当初の計画通りに各地の木造客車を淘汰し、普通列車で広く使用された。一部は、優等列車向けとして登場した形式もあるが、これは一形式に留まっているので例外ともいえる。営業列車から退いた車両は、荷物車や救援車、配給車などに改造されたものもある。
■オハユニ61形三等座席郵便荷物合造車
 60系客車の三等座席郵便荷物合造車として、130両が改造により登場した。客室は他の座席車と同様に、背もたれを木板とした簡易構造で、内壁もニス塗りとしている。1〜105までが客室デッキ・客室・郵便室・荷物室となっているが、106以降はデッキ・客室・荷物室・郵便室となっていた。1987年まで在籍していたが、分割民営化を前に廃車となり形式消滅した。
オハユニ61 107 1955年・改造
廃車日不明、碓氷峠鉄道文化むらにて静態保存
■オハニ36形三等荷物合造車
 60系客車の一員として、木造客車を鋼体化改造して登場した三等座席荷物合造車である。しかし、他の60系が普通列車で使用することを前提としていたのに対し、オハニ36形は優等列車で使用することを前提としていたため、車内の設備はスハ43系と同等の造りとなっていた。
 当初はTR11形台車を装備していたためオハニ63形を名乗っていたが、TR11形台車は高速走行に適した構造ではなく、ピッチングが激しいことから10系軽量客車で使用されていたTR50形に準じたTR52形に変え、形式もオハニ36形となった。
30両が改造により登場し、急行列車などで使用された。他の60系客車は廃車、形式消滅した中で、本形式は現在も2両が健在である。
オハニ36 7 1955年・改造(オハニ63) 1957年・改造(オハニ36) 1987年・廃車(福知山客貨車区)
1987年・大井川鐵道移籍(新金谷車両区)
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