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国鉄ホキ10000形貨車
JNR Type "Hokii-10000" Freight Car
▲オイルショックによる石油高騰の煽りを受け、セメント製造に使用する燃料を石炭へ転換することとなり、その輸送用貨車が必要に迫られ製造されたホキ10000形は、従来の石炭車とは異なる構造をもち、どちらかというと海外の貨車というスタイルである。(2013年8月23日 新鶴見信号場)
 ヤード集結輸送と呼ばれる貨物輸送形態が全盛だった頃、貨車といえばほとんど全てが黒一色で塗られたものが多かった。有蓋車、無蓋車、タンク車などなど多種多様な用途、形態そして種類は地味な貨物輸送という役割を担いながらも物流という生産や生活を支える立役者であったにもかかわらず、なぜか塗色は黒だった。筆者も少年時代、新鶴見操車場の貨車の入換風景を何時間も飽きることなく眺めていたものだが、その疑問に辿り着くことはなかった。考えてみれば不思議なものである。例外は冷蔵車の白と、パレット輸送に特化した有蓋車のワム80000形、化成品輸送用のタンク車、そして穀物バラ積み輸送用のホキ2200形。理由は定かではないが、鉄道黎明期から蒸気機関車と貨車にはこの色が使われていたというから、ある意味において伝統の色なのかもしれない。筆者が鉄道員時代にも民営化後とはいえ、この色は健在だった。なにより、資材担当だった筆者は、技術部門でも規定の塗色を使わなければならないことに驚きながらも、この「黒色」の塗料を発注したこともあった。
 現在の貨物列車は一部の例外を除いてコンテナ輸送に切り替えられ、その分だけJR、私有を問わずカラフルになったものだ。コンテナ車自体も国鉄時代の鳶色から青色、そしてコスト削減のためか灰色と変遷したが、薄い構造のためかあまり目立つことはない。とはいえ、コンテナ満載時にはありとあらゆるデザインと色とりどりなので、それはそれで楽しい。
 そんな21世紀も10年が経った今日にあって、今もなお伝統の黒色を身に纏い、物資別輸送に黙々と働き続ける貨車がある。その一つがホキ10000形貨車だ。形態分類で言えばホッパ車と呼ばれるもので、粉末或いは粒状の物をバラ積み輸送する車両だ。かつては石灰石や米穀類、金属粉末などの輸送に多様な形式が造られたが、トラック輸送やコンテナへシフトしたことで、2010年までにはほとんどが姿を消した。そんな中での生き残りともいえるホキ10000形は、その輸送する品物もまた珍しく、なんと石炭専用なのだ。石炭を輸送するには石炭車という貨車が存在し、筆者が鉄道へ入った頃も健在だった。しかし、敢えて石炭車ではなくホッパ車となった理由は定かではないが、2014年現在も200両近くが健在で、鶴見線扇町駅−秩父鉄道三ヶ尻駅間の太平洋セメント向けの石炭輸送に使用されている。

 ホキ10000形貨車は石炭線用ホッパ車として、1980年から製造が始められた。1979年の石油ショックにより、セメント工場で使用する燃料を従来の石油から石炭へシフトさせるために、新たに石炭輸送用の貨車が必要となったことからである。製造時、石炭輸送に特化した車両であるために、貨車の分類を石炭車かホッパ車かで議論になったともいう。
 1980年から1981年にかけて、秩父セメント(→太平洋セメント)の私有貨車として250両が製造された。1981年には電気化学工業の私有貨車として72両が製造されたが、全車は日本車輌・川崎重工で製造されたのに対し、後者は富士重工で製造されている。
 車両構造は従来の石炭車と異なり、底開き構造となっている。これは海外向け石炭車に似た構造である。台車は側梁案内形のコイルばね台車であるTR213の軸受けをコロ軸化したTR213Cを装備する。
 1987年の国鉄分割民営化時には、全273両が所有者を変わることなくJR貨物が継承。長く秩父セメント、電気化学工業の石炭専用の私有貨車として使用されていたが、1996年に電気化学工業の石炭輸送が終了したことで富士重工製造分の72両(ホキ10250−ホキ10272)が廃車。社名変更により太平洋セメント所有となった250両の内若干数が廃車となったものの、2014現在200両近くが同社向けの石炭輸送に使用されている。
▲ホキ10215 [武州原谷駅常備] (2013年8月23日 新鶴見信号場)
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