このサイトについて 「筆者」への連絡
国鉄ヨ8000形貨車
JNR Type "YO-8000" Freight Car
▲ヨ8006[札ヤマ 苫小牧駅常備] (2016年7月24日 三笠クロフォード公園)
 物流の主役が鉄道貨物であった頃、多様な貨車が製造され各地を走り回っていた。その多くが有蓋車だったが、荷姿に合わせて粉体をバラ積み輸送するホッパ車や、液体を輸送するタンク車など、その車種は限りがなかった。しかし、鉄道貨物の黎明期から、一貫してどの貨物列車にも連結され続けた車両があった。それが車掌車である。
 車掌車は、その名通り貨物列車に車掌が乗務するために連結される車両だ。車掌、正確には列車掛と呼ばれる職員が乗務し、走行中の後方監視や緊急時のブレーキ緊締作業を行ったり、操車場や中継駅などでの誘導やブレーキ試験などを行っていた。旅客列車とは違い、列車にもよるが一度走り出すと次の停車駅まで長時間乗り続け、停車駅などでは発車まで長時間停車を強いられるなど、その労働環境は過酷であったそうだ。
 その列車掛の主たる職場となる車掌車は、乗務中の環境は乗務する車両にも大きく左右させられたという。第二次世界大戦の物資統制の下では、木造の車両が多く造られ、冬季は隙間風に晒され苦しい乗務が多かったと聞く。また、車両もけして乗り心地がよいとはいえなかったり、トイレが設置されてないのが当たり前で、長時間走行時などは想像のつかない苦労もあったようだ。戦後になり、その車掌車も僅かずつであるが設備が改善され、列車掛の労働環境も改善されたという。
 かつて貨物列車の最後尾には必ず連結され、赤く点る尾灯を残しながら遠くへと旅を続けた車掌車も、1985年のダイヤ改正をもってごく一部の事情がある列車を除いて連結が廃止され、多くの車掌車が用途を失い廃車となっていった。車掌車の連結目的が、列車の途中で連結器が外れて分離したり、機関士に異常が起きるなどの事故があった際に、車掌弁と呼ばれる非常ブレーキを作動させる保安的な意味合いが濃かったが、列車防護無線装置の整備など技術の進歩とともに保安装置の信頼性が向上し、そうした車両や職員が必要なくなったからだと言われている。もっとも、翌1986年のダイヤ改正まで、車掌は機関車の後部に乗務して後方監視を続けていたが、こちらもまた合理化の波に飲み込まれる格好で廃止となった。
 筆者が幼き頃、跨線橋からよく眺めていた貨物列車の最後尾には必ずこの車掌車が連結されていた。旅客列車とは違い、長い編成の中でぽつんと明かりを灯し、赤い尾灯の尾を引きながらそこで働くことを夢見たものだった。どこへ行くのか分からないが、遠くへ、ずっと遠くへと走り続ける列車に一人乗務すること、同じ長距離を走る列車でも旅客列車のそれとは違うノスタルジックな雰囲気に憧れもした。
 もっとも、今となっては空調もなく過酷な労働環境を考えるとぞっとするが、先人たちはその中で列車の安全運行を第一に働き続けたことに頭が下がる思いだ。後年、鉄道員になった筆者は、新製されたコキ車の公試運転で控車となったこの車両に乗務したが、

 ヨ8000形貨車は、従来の車掌車とは一線を画する設備と構造をもって、老朽化した旧式の緩急車の置き換えようとして、1974年から製造が開始された。
 従来の車掌車は、列車掛が乗務するために適当とされるスペースをもち、執務に必要な最低限の設備である椅子と机、冬季に暖房をとるための石炭ストーブを備え、休憩用にレール方向に設置された長椅子が設置されていた。また、旧来の車掌車に走行装置の改造を施して運転速度を向上させながら使い続けていたのに対し、ヨ8000形は乗務員の作業環境改善と製造工程の合理化を図るために新規に設計・製造されたものであった。
 設備面では従来の車掌車と同様に列車掛が執務するための椅子と机を備えているが、従来車では車両外側、即ちレール方向に長机が設置されていたのに対し、ヨ8000形では車端部に一人用の執務机と肘掛けつきの椅子を配置し、後方監視を容易にした。また、二人がけ用のボックスシートを配置し、居住性の改善をはかっている。従来の車掌車ではトイレの設置がなかったが、ヨ8000形ではトイレが設置され、暖房用に当初から石油ストーブが設置されるなど、乗務員の作業環境を大きく改善するものであった。
 製造工法も合理化が図られ、予め製造された車体ユニットを台枠にボルトで固定するブロック工法が採用された。これは、先に製造されたコンテナ緩急車であるコキフ10000形やコキフ50000形、鮮魚を輸送するために製作されたレムフ10000形冷蔵緩急車の工法を踏襲したためである。そのため、デッキ部は屋根よりも突き出た構造になっている。
 走り装置は二軸貨車では標準的な2段リンク式であるが、担いばねを柔らかめに設定しているために、最高速度85km/hでの運転が可能とし、全部で1107両が製造された。
 1985年のダイヤ改正で、貨物列車の大幅な見直しと合理化が進められ、貨物列車への緩急車の連結は原則として廃止になり、多くが用途を失った。そのため、他の旧式緩急車はほとんどが廃車・形式消滅していったが、本形式は製造から日が浅い車両を中心に廃車を免れ、1986年の分割民営化でJR貨物を中心に、336両が継承された。民営化後は、車輌製造工場から出荷される甲種輸送や特大貨物などの控車として、旅客会社では事業用列車などで使用されたが、用途の喪失と老朽化により徐々にその数を減らし、2016年現在では20数両が在籍しているのみと思われる。その一方で、東武鉄道では蒸機列車の運転再開にともない、JR貨物とJR四国に在籍していた各1両の計2両を譲受しATS車上子を搭載した控車として活用する予定など、製造開始から40年以上経過しているのにもかかわらず、活躍することが見込まれている。
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.