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国鉄D52形蒸気機関車
JNR Type "D52" Steem Locomotive.
D52 72
▲D52 72[国] 2011年10月10日 御殿場駅
 蒸気機関車といえばD51形が有名で、鉄道にさして興味をもたない人でも「デゴイチ」という愛称で知られている。D51形は第二次世界大戦前に設計された貨物機で、総数1,120両(日本施政下の台湾へ送られた車両を含む)が製造された、いわばベストセラー機でもある。D51形は戦時下の日本に於いて貨物輸送量の急激な増加もあり、戦時中も製造が続けられた。しかし、戦争による物資の枯渇と、従来は船舶によって行われていた貨物輸送が船舶の軍への供出、米軍による機雷の敷設などで困難になったことから、これらの貨物が鉄道へと移ったことにより、鉄道貨物の輸送量が逼迫した状態になった。そこで、D51形を改良し、1,200tの貨物列車を牽引可能な高出力機として国鉄の前身である鉄道省が設計・製造したのが貨物用テンダー式蒸気機関車・D52形である。
 主な改良点はボイラーの大型化と出力の増強で、最大動輪周囲出力は1,660馬力となった。これは、日本の蒸気機関車の中では最大の出力である。しかし、戦時中の物資不足による戦時設計の発想から、本来使用すべき資材を使わず代用材が数多く使われた。また、工作についても従来リベット打ちであったボイラーの接合部を溶接工法へ変更し、製造そのものも簡略化されるなど、作りとしては非常に質の悪いものとなった。そのため、設計上の出力を発揮できる車両は少なく、鉄道省各工機部で製造された車両はボイラーも大型で比較的質もよい方であったが、車両メーカーで製造された車両についてはボイラーも丙缶と呼ばれるものについては燃焼室が短く、かつ構造も簡略化されていた。
 これら戦時設計による質の低さは当初想定していた1,200tの貨物列車を牽引することは不可能な状態で、実際には1,100tの貨物列車を牽引することがやっとという状態であったという。さらに、戦時中に酷使され、工作の状態がよくない戦時設計車がボイラー爆発事故を3件起こすなど、運用するには非常に深刻な問題を抱えていた。このため、全車のボイラー点検を実施し、状態不良車55両は1950年までに廃車となった。また、戦後、代用材で製作された部分を標準材に交換、ボイラーの新製による取替や自動給炭機の装備を実施し、ようやく本来の性能を発揮できるようになった。一方、貨物列車の減少により本機に余剰車が出たことと、旅客列車の急激な需要増大に対応するため、C62形へ50両が改造された。さらに線路等級の低い路線で運用することを目的に、軸重軽減改造を行ったD62形へ20両が改造されている。
 1943年から1946年にかけて総数285両が製造された。製造工場は前述の通り鉄道省各工機部→国鉄各工場(浜松、鷹取)の他、日本車輌製造、川崎車輌、汽車製造、日立製作所、三菱重工であった。また、当初は492両を製造する計画だったというが、これらの中には外部からわかりにくくするための欺瞞用の数値であるという指摘もある。
 戦後、標準材に換装し、ボイラーも新製交換されるなど本来の性能を発揮できるようになったD52形は、東海道・山陽線の重量貨物列車をはじめ、函館・室蘭本線や後には東北本線でも使用されるようになった。特に、東海道・山陽線で使用された本機は、新鶴見操車場−稲沢操車場間で1,200t牽引を実現させている。その後、東海道・山陽線の電化の進展や、動力近代化計画による無煙化の推進などにより、1972年12月のD52 202号機による運用を最後に全車廃車、形式消滅した。

 蒸機のスターといえるD51形やC62形などとは違い、重量貨物列車の牽引や勾配線区の補機など非常に地味な仕業をこなしてきたD52形。戦時設計車として質も悪く、度重なる事故や故障など、あまりよい話がないある意味では「悲運の機関車」だろう。しかし、国鉄が製造した蒸機の中では最強の出力を誇り、山陽本線の瀬野八越えや御殿場線の箱根越えといった連続勾配がある路線では、その強出力は非常に頼もしい存在だったと思える。また、このD52 72号機はちょうど1,200t貨物列車の運転が始められた1949年に新鶴見機関区に異動していることから、恐らくはこの重量貨物列車を牽引したと思われる。これは、戦前製のEF12形や戦時製のEF13形、さらには戦後の貨物電機であるEF15形の牽引定数と肩を並べるものであり、そんなパワーのある蒸機はこのD52形しかなく、72号機はその一員だったのであろう。
 今は御殿場線御殿場駅の脇に綺麗に磨き上げられた状態で保存され、かつて自らの足で何度も上り下りした箱根の麓を、今時のステンレス車体を輝かせた後輩たる電車の往来を静かに見守りながら、訪れる人々に昔の苦労と誇りを静かに伝えている。
 D52 72号機は1944年に川崎車輌で落成、下関機関区(現・下関総合車両所)に新製配置。戦中・戦後を通して山陽本線で貨物列車牽引に使用。1949年に新鶴見機関区へと配置転換される。その後、1954年に国府津機関区(現・国府津車輌センター)に再度配転、主に東海道線と御殿場線で使用。特に御殿場線での運用は最大25‰の連続勾配を超えるための補助機関車としても使用された。1959年に浜松工場においてボイラーを新製、1969年に国府津で廃車となった。
D52 72 (非公式側)
▲D52 72[国] 2011年10月10日 御殿場駅 ※上掲写真の反対側
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