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広島電鉄 3000形電車
▲3007号・3連 宇品 2005年12月27日
 筆者が高校を卒業して北九州市の門司に赴任した際、研修を兼ねた勤め先までの交通機関で、路面電車を使うように指定された。生まれてからこの時まで、路面電車という乗り物を利用したのは、小学生の頃に祖父に連れられて広島に訪れたとき以来で、しかも通勤という日常の交通機関として利用することになろうとは思わず、少々驚いたものだ。
 当時はまだ、西日本鉄道北九州線が砂津から折尾まで営業していて、冷房改造された600形の他に、3両連接車体をもつ1000形もまだ活躍していた。もちろん、筆者も何度か乗車したことあるのだが、その頃はあまり興味がなかったのか、通勤という日常に使う交通機関だったせいか、あまり記憶もなく写真などの記録もないのが悔やまれる。
 前述の小学生だった頃にも、広島電鉄3000形電車を見たことがあり、その頃の印象といえば、鉄道線に比べてやたらと大きなパンタグラフと、それを支える鋼管で組まれた櫓のような基台、そして「宮島」行きを示す方向幕が毛筆体だったことだ。まさか、この車両が元を辿れば九州の地で活躍していたとは知る由もなかった。
 そして、いくつかの職を経て、いまの職に就いてから4年目に、同僚とともに広島を訪れたときに、宇品で前掲の写真を撮影する機会に巡り会えたのだ。

 広島電鉄3000形は、元は西日本鉄道福岡市内線で2連接車体をもつ1000形電車である。西鉄にはかつて、博多や天神を中心とする福岡市内線と、北九州の門司から小倉、折尾にかけての線路網をもつ北九州線という二つの軌道線を運営していた。両線の輸送力向上を目的として、1953年から1967年にかけて2連接車体をもつ1000形電車を登場させた。
 1000形電車は当初の目的通りに、2両連接車体をフルに活かし、軌道線における輸送力増強に貢献したが、モータリゼーションの進展に伴い道路混雑が激しくなり、福岡市内線の廃止が順次進展したのに伴い1975年の連接車運用終了とともに広島電鉄に移籍。第2の人生を歩むことになった。
 広島電鉄移籍後に3連接車に改造。形式も3000形と改め、市内線(軌道線)と宮島線(鉄道線)を直通する列車を中心に使用されるようになった。また、移籍時には駆動系が吊り掛け駆動やカルダン駆動が混在していたが、仕様を統一するために出力62kwの吊り掛け駆動に改造。ブレーキも応答性のよい電磁直通ブレーキに換装し、方向幕も西鉄時代の小型で手動式のものから、大型の電動式に換えられ、正面デザインも大きく変貌した。
 3000形は3両連接車体を大いに活かし、高い輸送力をもつ車両として活躍。その後、時代の流れに乗り冷房か改造を受けてサービス改善も実施された。その後、「ぐりーんらいなー」に代表される高性能新型車の登場により、1998年からは宮島線直通運用を外れ、市内線線用となった。現在も1号線(宇品線)を中心に、朝夕のラッシュ時にはその輸送力を発揮し、他の市内線でも営業運転に使用されている。また、3006号は「イルミネーション電車」として、夜間にはライトアップされた状態で運転されていた。
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