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秩父鉄道5000系電車/ex 東京都交通局6000形電車
▲デハ5004 2007年4月7日 熊谷駅
 三田線といえば、長く単独で運転する地下鉄というイメージだった。筆者が幼少の頃に乗ったとき、当たり前の話だがその頃は地下鉄車両に冷房などついているわけもなく、よしんば冷房装置がついていたとしても、地下線内ではすべて切られてしまう。だから、窓を開けなければ車内は蒸し風呂になるのだが、いざ開けてみると車輪がレールの継ぎ目を通過するときのジョイント音が、地下の狭いトンネルに反響し、車内では会話もできないほどうるさかった。
 そんな思い出のある三田線の6000形電車も、いつしか役目を終えて東京から姿を消し、代わりに自然豊かな秩父路をのんびりと走る姿に驚いた。しかも、東京都在籍路には叶うことのなかった地上走行も、この秩父では夢ではなく現実のものとなっている。それを考えると、夢というのはいつの日か叶うものなのかもしれない。

 東京都交通局の地下鉄三田線用に製造されたセミステンレス車両の6000形は、従来の浅草線が標準軌1435mmであるのに対し、狭軌(日本標準軌)1067mmで20m級となった。これは、三田線が東急線と東武線への直通運転を想定してたことに由来していた。もともと東京都は浅草線と同じ1435mmを採用する計画だったが、乗り入れ先の東急の要望によって軌間を1067mmにせざるを得なかった。そのため、後に開業する新宿線は直通運転をする京王線の1372mmを採用、一つの鉄道事業者が運営する路線すべてで軌間が異なるという特異な状態となってしまった。
 しかし、東武の輸送事情や東急の乗り入れ先変更によって、両者への直通運転計画は消滅。軌間は1067mmのままとされ、1962年から三田線で運転を開始した。その後も路線の延伸や乗客数の増加により増備を続け、最終的に222両が製造された。
 東武・東急との直通運転を想定していたため、踏切衝突事故に備えた高運転台となっている。制御装置は超多段制御で電動機出力100kwは、同時期に製造されていた帝都高速度交通営団の5000系に類似している。
 一貫して三田線で使用され、1993年から後継の6300形電車の投入により順次置き換えが始まるが、1995年で置き換えは一時中断。1999年に三田線のATC/SR化や、開業以来長く東京の地下鉄としては、第三軌条方式の銀座線、丸ノ内線を除いて唯一直通運転を行わなかった三田線も、単独運行から営団南北線、東急目黒線との直通運転が2000年より開始されるのに伴い、三田線各駅にホームドアを設置。これにより、一時中断していた6300形への置き換えが再開し、2000年までに全車が三田線の営業運転から退いた。
 当初は非冷房車として登場した本形式だが、1989年より一部を除いて更新修繕工事とともに冷房装置が設置された。

 廃車となった6000形はほとんどが解体されたが、秩父鉄道は2000系(元東急7000系)の代替として、東京都より廃車となった6000形を譲受し、形式を5000系と改めて導入した。これは、2000系が車体長18mであり、同鉄道の普通列車の輸送密度からすれば18m車4両編成は輸送力過剰であったことと、既に普通列車に使用されていた1000系(元国鉄101系)と編成長が揃わないこと、そして地方中小私鉄においても冷房化が進められており、2000系の冷房改造が困難なことなどから、導入したものである。
 三田線時代は6両編成で使用されていたが、秩父鉄道入線に際して3両編成に短縮された。この時に、両端の先頭車が制御電動車だったので三峰口方の1両を制御車に改造したほか、保安装置を秩鉄形ATSに換装。側扉の半自動ドアに改造し、2/4ドア締切装置の設置などを行った。
 全部で3両編成×4本が譲渡された。譲渡された車両は三田線日比谷延伸時に製造されたグループで、譲渡に際して冷房化改造を受けている。
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