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秩父鉄道テキ100形貨車
Chichinu Railway type "TEKI-100" freight car.
▲秩父地方は良質な石灰岩が産出されることで知られ、沿線の採石場からは石灰石がセメント工場へと運ばれている。こうした貨物輸送は現在も存続しているが、その輸送量はかつてほどはなくなってしまっている。石灰石・セメント輸送全盛時代に活躍した秩父鉄道車籍の貨車たちは、今もなお石灰石の採掘が続けられている武甲山を見守りながら、歴史を語り継ぐために三峰口で静かに余生を過ごしていた。(2013年9月13日 三峰口駅秩父鉄道車両公園)
 この貨車を見たのは恐らく小学生の頃だったと記憶している。当時は国鉄分割民営化が国会などで取り沙汰されていたとはいえ、鉄道貨物はヤード集結輸送が盛んだったので、新鶴見操車場の仕訳線群には多種多様な貨車がやって来ていた。ワム80000形やワラ1形貨車はうんざりするほどたくさんいたので、その中から珍しい貨車を見つけるのが楽しみだった。
 そんな中で、角張った構造をした鉄製有蓋車を見ることが本当に稀なことだったと記憶している。ある日の夕方、このテキ100形貨車を見つけた時は、ちょっとだけ得した気分にもなったものだ。ところがこのテキ100形貨車を見ていると、何かが違うことに気づいた。それは、黒い車体と特徴ある角張った構造は別として、国鉄所有の貨車にはない「社紋」と番号標記の下に目立つように引かれた二重線だった。
 社紋は秩父鉄道のもので、円形の社紋の下には「秩父」と書かれていた。これはいったい何か?と調べてみると、国鉄に所有し車籍を置くのではなく、貨車にも私鉄所有でそこに車籍を置くものがあるということだった。要は秩父鉄道の貨車が国鉄へ乗り入れてきているということだ。番号標記の下の二重線は、国鉄線へ直通をすることが許された貨車を示すもので、俗に「国鉄直通車」というものだった。同じ構造の貨車でも、国鉄へ乗り入れるためには許可が必要とは、このあたりはさすが「役所」である。
 秩父鉄道の社紋は円形なのでしっくりとくるが、もしも東急電鉄のような社紋の会社が貨車を所有していたら...やはりステンレス板に赤いあのマークを入れたのか?あまり想像したくない気もする。

 秩父鉄道テキ100形貨車は、袋詰めセメント輸送用の物資別適合輸送貨車として1959年に日車東京支店で製造された鉄製有蓋車である。袋詰めされたセメントをパレットに積載し、これをフォークリフトで荷役するために側面扉は総開き構造とし、側面扉はプレス鋼板を使用している。この構造を採用した有蓋車はこのテキ100形が最初で、パレット荷役用有蓋車であるワム80000形の登場は1960年のことであった。
 積載荷重は30t、前述のように水気を嫌う袋詰めセメント輸送専用として設計・製造されたので、通常の有蓋車であれば内張に合板などの木材が張られるが、本形式ではそれはない。また、積荷が限定されることから容積を抑えており、他の有蓋車と比べて車高も低いのが特徴である。屋根はビート付の山形で、妻面には通風口が設置されている。
 台車は製造当時に一般的なボギー台車である、スリーピース一体鋳鋼のベッテンドルフ式のTR41形を装備している。
 全30両が製造後、秩父鉄道に車籍を置き、国鉄直通車の認可を受けて秩父鉄道線から王子駅などへの輸送に使用された。車籍は秩父鉄道であったが、所有者は秩父セメント(株)であった。しかし国鉄に車籍を有する私有貨車のように会社標記はない代わりに、国鉄直通車であることを示すため形式番号の下に二重線が引かれ、車籍を置く鉄道事業者の社紋と社名が記されている。しかし、後継となったテキ200形貨車は秩父鉄道籍ではなく、国鉄籍とした私有貨車となった。その後セメントのホッパ車によるバラ積み輸送に移行し、1984年までに用途がなくなり全車廃車になり形式消滅となった。
▲テキ117 2014年9月13日 三峰口駅秩父鉄道車両公園
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