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帝都高速度交通営団3000系電車
Teito Rapid Transport Agency Serease 3000 Electric Car
▲小雨の降る多摩川園駅(現・多摩川駅)を発車していく営団3000系電車。「マッコウクジラ」という愛称で、その前面スタイルは同じステンレス車である東急7000系の無骨なものとは対照的に、曲線美を生かした優美なものだった。改良工事が始まるよりずっと以前の撮影で、上りホームの右側には目蒲線が走っていた。(1989年頃 東急東横線多摩川園駅)
 筆者がまだ高校生の頃は、鉄道の冷房化はまだまだ未達成の車両も多く、夏になれば窓を開けて少しでも涼しい風を入れるのが当たり前だった。今はその逆で、冷房が付いているのが当たり前、逆に窓を開けようものなら他の乗客から冷たい視線を浴びてしまうが、窓の開かない電車を造ったところ、却って不都合が多くなり窓が開くように改造しなければならないというのは何とも皮肉な話だ。やはり、何でもかんでも機械に頼って快適さを追究するというのも考え物。震災以降、節電が叫ばれるようになって、5月の初夏に入っても冷房を入れないで走る列車も見かけるくらいだから、やはり原点に返る時期なのだろう。
 この営団3000系も、冷房化をしていない電車だった。というより、冷房改造しようにも、車体の構造と地下鉄線内の建築限界の関係からできなかった。そのために、夏季は窓を開けなければ暑くて乗っていられない。駅で停車して制御装置の上にいようものなら、機器からの放熱がもろに車内に飛び込んでくる。それでも、夕方になれば幾分涼しくなった風が入ってきたから、この時代はまだまだ今ほど気温が高くなかったのだろう。
 時は変わって筆者が就職した1991年も、まだ3000系は現役だった。研修で隅田川駅勤務を命じられた際も、自宅に近い駅からこの3000系に乗って通勤したこともあった。とにかく夏場だったので車内は蒸し暑かったが、乗客は慣れたもので可能な限り涼しい服装をしていた。今では考えられないことだが、それこそが筆者にとって「通勤」を実感したものだった。
 そんな車両だが、筆者はこの3000系に乗るのが楽しみだった。起動加速度が4.0km/h/sという加速力は、他にはない加速力を実感できた。そして、超多段抵抗制御と呼ばれる制御方式のおかげで、その加速はとてもスムースで滑らかだった。とはいえ、もともとが曲線区間が多く速度もあまり出せない地下鉄線内での加減速重視の性能だった故に、地上の直線区間で速度も出せるところでは、めいっぱいマスコンを入れて速度を維持する、そしてモーター音を唸らせてスピードを出し続けるというのも、この3000系ならではのことだった。

 1961年に日比谷線開業に合わせて帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現東京メトロ)が製造した18m級の電車である。普通鋼の骨組みにステンレスの外板をつけるという「セミステンレス車」で、前頭部は丸みのある柔らかで独特のデザインから、「マッコウクジラ」という愛称で呼ばれていた。
 制御方式は、超多段抵抗制御(バーニヤ制御)でショックのない滑らかな加速と、起動加速度4.0km/sは同じ日比谷線に乗り入れる東急7000系と同じである。また、こうした性能にかかわらずすべて電動車で組成され、付随車は存在しない。これは、地下鉄線内における車両故障時などを想定してのもので、東武2000系も含めた三社協定によるものである。
 車内はクリーム色の化粧板で、座席は臙脂色のモケットと暖色系にまとめられた。空調装置は、初期車は軸流式のファンデリアを装備していたが、後に通常の扇風機となった。また、客用側扉は製造当初は他社の車両と同じく天地方向に長い窓であったが、その後営団車の特徴である小窓のもので、これは半蔵門線用の8000系まで続くことになった。
 最終的に8両編成×38本、304両(事故車代替を含めると305両)が製造され、日比谷線と直通する東武伊勢佐木線、東急東横線で使用されたが、保安装置は営団WS-ATCのほかに乗り入れ先である東武ATSまたは東急ATSを装備していた。しかし、両者の保安装置を併設している編成9本のみで、あとはどちらか一方の保安装置をもつために、東武乗り入れ用と東急乗り入れ用と運用が別れていた。1988年より老朽置き換えと冷房化の推進により順次03系と入れ替わり、1994年までに全車が廃車となった。なお、一部の車両は長野電鉄に譲渡されたほか、台車や機器のみ再活用されたものもある。
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