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東京急行電鉄7000系電車
Tokyu Corporation Serease 7000 Electric Car
▲東横線で日比谷線直通列車に使用される7000系電車。既にこの頃から後継の1000系電車が投入され、その活躍の場は徐々に狭められつつあった。太い赤帯は後年入れられたもので、改造車である7700系とはこの帯で識別できた。東横線もこの頃は複々線化がされてない。(1991年5月 多摩川園−新丸子)
  我が国初のオールステンレス車・東急7000系は筆者にとって幼少の頃から親しみのある電車だ。東横線沿線に住んでいたせいもあるだろうが、どこか電車に乗って出かけるとなれば、この7000系に乗っていたものだ。
 この電車を印象深くしたのは、とにかくこの電車か発するモーター音。甲高く、独特の感じがしてならなかった。そして、側扉の開閉もシリンダーから空気が抜かれる音も大きく、ある程度年齢が上がるに従って、この電車を乗りにわざわざ日比谷線直通列車をねらったこともあった。
 非冷房であるのは当時はまだ当たり前で、初夏になれば側窓はほぼ全開にして走っていたなんて、今となっては過去のものだ。もちろん、この7000系も冷房化することなく東急線から引退していったり、制御装置をVVVFインバーターに載せ替え、冷房化した7700系に改造されたりして姿を消し、この写真の光景も過去のものとなった。
 この写真を撮影した新丸子駅も、現在では複々線化されていて、若干変わってしまっている。

 東急電鉄がセミステンレス車6000系に続いて設計・製造した車両である。それまでの5200系、6000系が骨組みが普通鋼製で、外販をステンレスとしたいわゆる「セミステンレス車」であったのに対し、7000系は我が国初のオールステンレス車として登場した。この形式以後、東急電鉄はすべてオールステンレス車を導入しているから、ステンレス車王国の基礎を築いた形式といってもよい。
 オールステンレス車の製造技術は当時としてはまだ難易度が高く、特に溶接については国内では開発途上だった。米国バット車がステンレス鋼の溶接技術の特許をもっていたため、東急電鉄の系列会社である東急車輌は、バット車と技術提携することで溶接技術を手に入れて計量オールステンレス車の製造を可能にした。
 台車は米国バット社との技術提携により設計された、パイオニアIII形(TS-701)。基礎ブレーキであるディスクブレーキを車軸外側に露出している特徴的なもので、ブレーキパッドの交換が容易に行えるなど、保守性を向上させている。一方で軸ばねがなく、防振ゴムを用いた簡易な構造のために乗り心地はあまりよくなく、軌道への影響も大きかった。
 制御装置は電動カム軸式抵抗制御で、日立製作所と東洋電機製の2種類があり、東洋製をとして、日立製をとして区別していた。営団地下鉄日比谷線直通運転を前提として設計されているため、A−A規準の地下鉄対応である。また、営団と東武、東急の三社協定に基づいて性能もそろえられており、起動加速度は4.0km/h/sで、全電動車で組成されていて、東横線の日比谷線直通列車に使用されたほか、各停や急行にも使用された。また、一部は田園都市線や大井町線でも運用された。
 後継の1000系が1989年より日比谷線直通列車用として登場したため、順次東横線からの運用を外れ、大井町線で運用されていた車両も9000系の登場により、東横線から転出した8000系に押し出されるようにして運用を外れ、一部は未改造のまま目蒲線で使用された。
 また、制御装置をVVVFに換装し、冷房化を施して7700系に改造されて目蒲線(当時)や池上線で使われているほか、多くが地方私鉄に譲渡されて現在も活躍している。
 東急線では、こどもの国線で使用されていた2両編成(デハ7057+デハ7052)が、1999年にこどもの国線の通勤線化に伴い横浜高速鉄道Y000系に置き換えられ形式消滅した。
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