このサイトについて 「筆者」への連絡
取材日:2011年9月19日
掲載日:2011年11月19日
▲向ヶ丘遊園駅を象徴する、ギャンブレル屋根をもつ駅舎の北口。小田急線開通とともに開業した向ヶ丘遊園駅は、当初は稲田登戸駅と称していたが、やがて近隣に自社の遊園地を開業させると、駅名も現在のものになった。駅舎は開業当時からのもので、数多くある小田急の駅の中でも貴重な存在になっている。
 かつて鉄道会社は、自社路線沿線に遊園地などのレジャー施設を建設し運営していた。自前のレジャー施設が沿線にあれば、当然そこを利用する人たちは乗客となり、運賃収入がある。そして、レジャー施設でも入園料などの収入があるというわけだ。とはいえ、これは昭和初期から中期のことで、沿線の多くがまだ未開の地であり、鉄道の利用向上といういわば「培養」であった。
 例を挙げればきりがないが、例えば東京急行電鉄はそう離れていない距離の場所に二つの遊園地(多摩川園と二子玉川園)を運営していたが、いずれも1980年代までに閉園していった。一方、成功している例でいえば、富士急ハイランドだろう。絶叫系遊具を次々に建設し、今なお多くの利用者がある。
▲向ヶ丘遊園駅を通過する、特急「えのしま」30000形。向ヶ丘遊園駅では、通過待ち合わせのほかに、急行と各停の接続も行われる。
 向ヶ丘遊園もまた、そんな鉄道会社が建設し運営した遊園地だった。そして、最寄りの駅である向ヶ丘遊園駅は、1927年の小田急小田原線開業とともに開業した歴史ある駅である。
 向ヶ丘遊園駅は開業当初は「稲田登戸駅」と称していた。一方、向ヶ丘遊園は同じ1927年に開園しているから、当時は駅名から遊園地の最寄り駅という印象は感じられなかったであろう。それもそのはずで、駅から遊園地までは1km以上も離れている。とはいえ、小田急はこの稲田登戸駅から向ヶ丘遊園までは豆汽車を走らせ利用者を輸送している。
 戦時中はこの豆汽車は廃止されていたが、戦後には豆電車で復活。1955年に駅名を「向ヶ丘遊園駅」と改称。1965年にはとうとうモノレールを開業させている。それだけ、小田急としても向ヶ丘遊園への集客に力を注いでいたのだろう。
 駅としても開業当初から重要な位置を占めていたようで、当初は新宿からの各駅停車の折り返し駅であった。開業から半年後には急行が設定され、稲田登戸駅は急行の停車駅となっている。戦後も準急、急行の停車駅となり、ついには特急ロマンスカーの一部が停車するようになった。
 そんな向ヶ丘遊園駅は、駅の外観はそれほど大きいものではない。というより、これだけの列車が停車する要衝でありながら、北口の駅舎は開業当初の建物で、ギャンブレル屋根と呼ばれる独特の形状の屋根をもち、現在も大切に使っている。真っ白な壁にその形状の赤い屋根は、どこかアルプスの山に立つ建物を連想させる。その駅舎の入口の上にある窓のようなものを観ていると、どこかで観たことがある紋章がレリーフになっていた。よく観察すると、小田急の社紋だった。こんなところに社紋を入れるとは、先人たちがいかにこの駅を誇りとしていたかが伝わってくる。そして、この駅舎の駅名看板もまた、雰囲気を損なわないように配慮したのか、他の駅に比べて小型のものにしている。
 駅の北口には商店街があり、そこから多摩区役所にも歩いて行ける。北口はつい最近までは駅前ロータリーのようなものがなく、発着するバスは狭い折返し場でターンテーブルで方向転換をしていたが、現在は広いバスロータリーが設置され、駅から住宅地に向かうバスが発着している。
▲北口のギャンブレル屋根の駅舎の2階部分には、レトロな窓とその上には小田急の社紋のレリーフが埋め込まれている。こういった細かいところに、自社の社紋を入れる凝りようは昭和ならではのもの。

 駅構造は島式2面4線。緩急接続を行う駅としては標準的なもので、小田原方に引き上げ線を1本もつ。これは、かつて向ヶ丘遊園折返し列車の設定があったためで、開業当初の「直通」の流れを汲んだものだと思われる。この駅構造を活かして、急行と各駅停車の緩急接続が行われたり、特急の通過待ちが行われたりと、バラエティーに富んでいる。筆者も一時期小田急線で通勤したことがあったが、やはり向ヶ丘遊園駅で急行との接続は例え一駅であっても重宝する。しかし、最近設定された快速急行や、多摩線へ直通する多摩急行は通過してしまうようになった。
 ところで、小田急の一番の特徴と言えば、箱根や江ノ島といった観光地へ向かう特急ロマンスカーだろう。前述のように、向ヶ丘遊園駅も一部の列車が停車するが、それも現在は平日は朝7時台の2本、土日にはさらに8時台に1本が停車するのみ。朝の7時台の列車に乗って箱根へ向かったとしても、終着の箱根湯本には遅い列車でも9時前に着くから、需要のほうはいかほどなのか気になることだ。
 ホームを歩いていると面白いことに気づいた。二つのホームを結ぶ跨線橋だが、なんと古レールを再利用して造られた物だ。支柱や梁といったところに使われていて、かつて多くの駅で見ることができた跨線橋のスタイルである。そして色使いがよく、壁はクリーム色でそれを支える鋼材はエメラルドグリーンといった具合だ。まるで鉄道模型のモデルにもなりそうなこの跨線橋は、じっくりと観察してみると非常によくできていた。
 跨線橋の階段部分の下に入ってみるとそのことがよくわかる。跨線橋を支えるための支柱は、なんと古レールをアーチ状に折り曲げて造られた物だ。近代的なH鋼ではこのような芸当は無理で、古レールならではである。やはり、レールというのは重量のある車両を高速で通過させるだけあって、H鋼よりも頑丈なのだろう。重要な部分には古レールが使われていた。
▲跨線橋の橋脚や上屋の支柱として、古レールを最大限に活用している。特に、このアーチ状に曲げて造った橋脚はとてもよくできていて、近代的なH鋼にはない「美しさ」がある。
 古レールが使われていたのは跨線橋だけではなく、ホームの上屋を支える支柱にも使われていた。といっても、すべての上屋に使われていたわけでなく、跨線橋付近のほんの短い場所だけ。他は後から増設されたのか、H鋼を組み立てたものだったが、それも増設された時期によって僅かな違いが見て取れる。このことこそ、駅の歴史を物語るものであり、古レールで造られた部分が恐らく開業当初から存在するホームで、その後輸送量の増加に伴いホームの延伸が繰り返されてきた証だとも言える。そして、連続立体交差などの大規模な改良工事がなかったことと、しっかりメンテナンスしていることが、こうした構造物が今でも存在するのだ。
 今度は南口に出てみることにした。向ヶ丘遊園駅はギャンブレル屋根駅舎の北口と、反対側の南口があるが両者を結ぶ連絡通路はない。反対側にでるためには、入場券を購入して構内を渡るか、駅の両端にある踏切を渡らなければならない。
 南口は北口とうって変わって、駅前にはバスロータリーとタクシー乗り場が整備されている。バスは系列の小田急バスではなく、東急バスと川崎市営バスが発着している。どちらも、駅と住宅地を結んでいる、住民にとっては貴重な路線だ。そして、駅前にはスーパーマーケットや居酒屋チェーン店、DVDレンタルショップなどもあり、多くの人で賑わっている。
 駅舎は近代的な建物だった。平屋で、恐らく軽量鉄骨造りだろう。交通バリアフリー法によって後から増設されたエレベーター通路が、駅舎の背後に建っている。その他にはこれといった特徴がない、大手私鉄の中間駅の様相を呈している。
 駅前のバスロータリーを渡ったところ、道路と道路に挟まれたところに自転車駐輪場があった。都市部では、自転車の駐輪場不足からくる放置自転車が大きな社会問題になっているが、いくら駐輪場を造るにしても、道路と道路に挟まれたところというのは不自然だ。それもそのはずで、この場所こそ前述の向ヶ丘遊園に向かうモノレールのホームがあった場所なのだ。ロッキード式と呼ばれる跨座式の一種で、日本ではこの向ヶ丘遊園モノレール線だけだったそうだ。もちろん、向ヶ丘遊園への利用客輸送を目的に造られたのだが、中には通勤に使っていた人もいるらしい。休日になれば、遊園地へ行けるということではしゃぐ子どもを連れた家族が、たくさん利用したに違いない。かくいう筆者も、モノレールこそ乗らなかったものの、向ヶ丘遊園には子ども時代に何度か連れて行って貰ったことがあったのだから。
 そんな、たくさんの子どもたちの夢を乗せたモノレールも、老朽化によって2000年に運転を休止。ロッキード式という希少な方式であることや、改修には莫大な費用がかかること、さらには向ヶ丘遊園自体の入園客減少もあって、2001年に廃止となってしまった。モノレール線自体は利用客も多く恵まれたものであり、かつては遊園地で「ウルトラマンショー」があると、モノレールにもウルトラマンの「お面」を被せて運転されていたのだが、廃止の時にはさよなら運転も行われず、静かにその歴史を閉じていった。そして、遊園地自体も翌2002年に閉園となってしまった。
 遊園地がなくなっても、駅名は変えられることはなかった。既に地元では「遊園」といえば「向ヶ丘遊園駅」を指す、いわば一種の地名のになっている。近隣に建つマンションには「○○マンション向ヶ丘遊園」などというように名付けられているほどだ。それだけ、地域の人たちに馴染んでいたのだろう。
▲(左)南口は北口とは違い近代的な造りで、必要最小限の機能的な建物。駅前にあるロータリーから、近隣の住宅地を結ぶ路線バスが発着し、スーパーなどの商業施設も充実している。(右)向ヶ丘遊園駅を通過する快速急行。緩急接続が可能な2面4線の構内は、日中はこのような光景がよく見られる。
 取材を終えて新宿行きの急行列車を待っていたら、列車の到着を告げるオルゴールが鳴り出した。とても馴染みのあるそのメロディーは、マンガ「ドラえもん」のもの。そういえば、廃園になった向ヶ丘遊園の跡地に、ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄の縁の品を展示する「藤子・F・不二雄ミュージアム」が開館した。ドラえもんなどの同氏の作品は、筆者も子どもの頃にはよく見ていたし、いまも仕事柄ドラえもんの話題はよく出る。一度は訪れてみたい場所ではあるが、聞けばもの凄い人気で入館はすべて予約制。しかも半年先まで予約が埋まっていると聞く。そこを訪れるのは当分先の話になりそうだ。
 そんなメロディーを聴いていると、新宿行きの急行がホームに滑り込んできた。ブルーを基調にした曲線のある前面をもつ4000系電車は、小田急の新鋭車でステンレス車体をもつ新時代を象徴する車両だ。それでも、北口駅舎や跨線橋、そしてホームの一部には古き良きものが、大切に使われている。こうした新旧の取り合わせは、ある意味において貴重なものだ。そして、この駅の名の通り、夢を抱いた多くの子どもたちが利用し、そしてこれからは、いまは大人になった子どもたちが、かつての思い出とふれ合うために訪れる駅になるのだろう。
駅概要
駅名 向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)駅
所在地 神奈川県川崎市多摩区
所属事業者 小田急電鉄
所属路線 小田原線
キロ程 新宿起点 15.8km
駅構造 地上駅
ホーム構造 2面4線(島式2面)、引上線1線
駅種別 旅客駅
開業 1927年4月
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.