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取材日:2011年10月10日
掲載日:2012年6月9日
▲山北駅の駅舎は木造平屋建てという、昔からの建物が今も大切に使われている。駅の売店である「キヨスク」と、その反対側にある郵便ポストが、この小さな駅にはとても似合っている。駅前の建物とともに、21世紀に入って久しい現在でも、往時の面影を残している。
 首都東京に隣接する神奈川県は、人口密集地域が多くベッドタウンとなっている所も少なくない。そうした地域にあっては、駅もまた都心部或いはその郊外にあるから、それなりに多くの人が利用すると思いがちだ。筆者も、そういうものだと思っていた。ところが、今回紹介する御殿場線山北駅は、同じ神奈川県内にある駅でもその様相はまったく違うのだ。
 そもそも山北駅が所属する御殿場線そのものが、同じ県内の他の鉄道路線と性格が違う。元々は東海道本線の一部であったのが、丹那トンネルの開通によって本線格から支線へと変わり、第二次世界大戦中の「不要不急線」として指定され、複線だったものが線路を剥がされ単線へとその姿を変えたことが決定打となり、今ではローカル線の一つとなってしまった。当然、山越えの要衝でもあった山北駅も、その役割を変えていったのは言うまでもない。
▲山北駅構内を跨線橋から俯瞰してみる。かつての要衝であった山北駅は広い構内をもち、往時の賑わいを偲ばせる。現在はほとんどが遊休地となっているが、上下1本ずつの側線には夜間滞泊する車両が留置される。
▲山北駅のホームは、2〜3両編成で運転される現在の列車からすると、有り余るほどの長さがある。これも、御殿場線がかつて東海道本線であったことを伝える「遺構」で、すべての列車がここで停車していたため、これだけ長いホームを備えている。しかし、電車が主体の現在では、必要な部分のみが電車対応の高さに嵩上げされ、それ以外は客車時代のままである。写真は、手前が客車時代のまま残された部分で、奥に段差があり嵩上げされていることがわかる。
 山北駅の開業は1889年。東海道本線の国府津駅−御殿場駅−沼津駅間の開通と同時である。御殿場線が平均25‰の勾配が連続するという、当時の鉄道にとっては厳しい条件であり、この区間を通過するためには補助機関車の連結が必要であった。そのために、沼津へ向かう下り列車はこの山北駅に必ず停車し、補助機関車の連結作業が行われ、上り列車も補機を解放していたという。このことが、山北駅が東海道本線の要衝であったという所以である。
 補助機関車の連結解放作業が行われていたために、駅の構内には山北機関区が置かれていた。もちろん、こうした補助機関車の整備や石炭と水の補給をするという、当時の鉄道では欠かせない役割を担っていた。優等列車もこの山北駅には必ず停車して、石炭と水の補給を受けていたたという。即ち、どんな列車でも山北駅に停車しなければ、御殿場の山越えは叶わない。そのため、駅の周辺には駅や機関区で働く鉄道員のための官舎も建設され、山北は「鉄道の町」として栄えていった。
 そんな山北駅に転機が訪れたのは、言わずもがな1934年の丹那トンネル開通だった。多くの列車は厳しい勾配が連続し、補機の連結が必須であった御殿場廻りから、平坦で補機連結の必要のない熱海経由となり、東海道本線の名をそちらに譲って、山北駅は御殿場線の所属と変わっていく。当然、列車の本数は激減。山北機関区も閉鎖されてしまう(代わりに国府津機関区が開設。現在の国府津車両センター)。以後、山北駅は山間の集落にある小駅となっていくことになる。
 現在の山北駅は島式ホーム1面2線という、単線区間で列車交換ができる典型的な構造の駅だ。といっても、ホームの長さは優に6〜8両編成の列車が停車できる長さをもっている。もちろん、現在では2〜3両編成の列車が主体なので、いかにも過剰設備に思えるが、これもまた山北駅のかつての姿と役割を今に伝える貴重なものだといえる。ホーム自体も列車が頻繁に停まり、乗降客の利用頻度が多き場所はコンクリートタイルが敷き詰められているが、それ以外の利用頻度の少ないところはかなり昔に敷かれたアスファルトのままで、それも今では風化して黒い砂利状になっていて、昔の駅らしくさを醸し出している。
 駅は国府津方は下り勾配、御殿場方は上り勾配と、ちょうど坂道の途中に造られている。特に御殿場方は駅場内からすぐに25‰の上り勾配があり、その先はずっと上り坂になっているのがホームの先から観察できる。しかも、線路の両脇には生い茂る木々と山裾が迫り、その先もまた山々に吸い込まれていくような感じで、御殿場線が如何に厳しい条件なのかが分かる。

▲上:駅前から県道に繋がる道沿いには、「看板建築」と呼ばれる昔ながらの建築方法の商店が並んでいた。その奥には丹沢山塊の山が見え、その中腹には東名高速道路が見える。 下:最大25‰は鉄道にとっては厳しい勾配で、それを越えていくために強力な機関車が最後まで活躍していた。D52形は国鉄蒸機では最強の機関車であったが、戦時設計故の苦労もつきまとっていたという。それでも、御殿場線の山越えには重宝されていた。D52 70は国府津機関区を最後に廃車後、山北駅南側の公園内に保存され、山越えに挑む後輩たちを静かに見守っている。
 駅の構内も、山北駅の現状から考えれば必要以上に広い。これもまた、ここに機関区が置かれ、同時に多くの列車が停車するための設備があった名残なのだろう。また、この駅は1979年まで車扱貨物列車の発着があり、専用線もあったという。ホームから駅本屋のある間には優に3〜4本の線路が敷けるだけの広さがあり、反対側にも2〜3本の線路が敷ける空間が広がっている。かつてはホームはもう1面あったようだ。もちろん、今日では不要となった線路や構造物はすべて撤去されていて、往時の面影はない。強いて一つだけあるとすれば、それは駅の南側にある旧機関区跡地に、御殿場線で使用されていたD52形蒸気機関車70号機が保存・展示されていることだろう。
 この静態保存されているD52 70は、廃車まで国府津機関区に所属して御殿場線で運用された機関車で、廃車後も縁のある山北に安息の地を得て、行き交う列車を静かに見守っている。そして、この機関車の保存には、地元の人々や山北機関区を職場とした元鉄道員のボランティアが関わっているという。訪れたこの日も、一人の年輩の男性が機関車を慣れた手つきで整備しているのが見えた。引退後もこうして大切にされている機関車は、幸せな余生を送っていると思う。
 駅の北側に出てみた。駅前には小さな広場がある。そこにはバス停はあるものの、バスの運転本数が少ないこともあって、訪れた時には人の姿はなかった。タクシー乗り場らしきポールもあったが、そこに客待ちのタクシーもいない。せめて1台ぐらいはと思ったのだが、それだけ、利用者が少ないのだろう。そして、駅本屋の傍らには郵便ポストが置かれているが、これまた昔懐かしい丸形の「郵便差出箱1号」と呼ばれるものだった(箱形が多くなる前、かつて町中でよく見かけた丸形のポスト)。
 駅前の小さな広場から山側を眺めると、すぐ近くを走る国道246号線の旧道である県道76号線へと繋がる道路が伸びている。伸びているといっても、その距離は50mに満たない。そして、その道路の両脇には石造りの2階建ての商店があり、看板建築と言われる造りのようだ。県道のさらに向こうには、山肌を横切るように造られている東名高速道路が見え、そして丹沢山塊を成す高松山と大野山をつなぐ稜線が聳えて見える。人通りも少なく、自動車の通行量も僅かで静かな駅前に、時折聞こえてくるのは鳥の鳴き声が、山間の小駅というにはぴったりの雰囲気だが、時折聞こえてくる、東名高速道路を通るトラックか何かの通過音だけは、この静かな山間の町には不似合いな騒音で、僅かに町を揺るがしているような気がして残念であった。
 駅本屋は木造平屋建てと、この駅の歴史を感じさせる建物だ。こうしたあたりに、今日改築されては鉄とコンクリートで造られた建物とは違い、この駅が刻んできた時とともに、多くの人たちがこの駅で乗り降りしてきた姿を想像できるというものだ。改札口近くには自動券売機とみどりの窓口があり、筆者もせっかくなのでマルスで発券される入場券を買い求めた。事務室の中を覗いてみると、やはり年季が入った建物らしく狭い造りになっていた。そうかといって、使いづらいという雰囲気はなく、現在の仕事に合わせて整理がされているのは、やはりそこにプロとしての仕事っぷりが垣間見えた。この窓口もまた、多くの乗客が切符を買い求めたり、鉄道員たちが責任と誇りを胸に職務に励んだ職場であったと思う。そんな駅は、筆者が訪れた当時はJR東海の直営駅(※1)だが、御殿場線は列車集中制御装置(CTC)を導入しているので、運転取扱業務はない。それでも、日中の限られた時間とはいえ、駅員を配置しているのには驚いた。1日784人(※2)の乗車人員の実態を考えると、わざわざ駅員を配置する理由が思い当たらない。実際、一つ隣の東山北駅は1日893人と多いが、こちらは駅員無配置だからだ。とはいえ、かつての要衝であるという歴史と、山北町の中心にある駅ということを考え、時間を限定しているとはいえ駅員を配置しているのだろう。
 駅本屋とホームを結ぶ跨線橋もまた、昔からの構造物であることがわかる。木造の跨線橋は、現在ではなかなか見ることができないが、この山北駅では健在だった。外壁をアイボリークリームで塗られた跨線橋は、いったいいつに造られたものなのだろうか。JRの駅などの建築物にある建築物標を探したが、どこにも見あたらない。もっとも、探し方が下手な筆者のことだから、きっとどこかにあるのだろう。
 今では山間の町にある小さな駅だが、由緒ある歴史をもつ山北駅はダイヤ改正の度に列車の発着は減っていくのは寂しい話だ。かつて国鉄時代には、東京からの直通列車もあり、国府津駅で分割された付属編成が、この山北駅までやってきていた。民営化後も暫くはそのままであったが、やがて年々その本数は減らされていくことになる。特に2007年のダイヤ改正では上り列車の東京直通はなくなり、下り列車の東京からの直通列車のみとなる。そして、2012年のダイヤ改正では東京からの直通列車の設定はすべてなくなり、かつての東海道本線であったという僅かな繋がりは絶たれたといってもいいだろう。それと同時に、この山北駅も駅員無配置・・・いわゆる無人駅となり、長い歴史を刻む中でまた一つ、時代が変わったといえる。それでも、この地域の住民にとって御殿場線は貴重な交通機関であり、日中は1時間に1本程度の運転でも、自動車などを運転することのない人々にとって、山北駅の重要性は変わらないと思う。そのことを証明するかのように、訪れた日も高校生や中学生らしい若い人たちをはじめ、地元の多くの人たちが上り列車を利用している姿があった。かつて、多くの列車が停車し、多くの人々が降り立った山々に囲まれた古いホームに、数多くの鉄道員が忙しく働いていた山北駅は、その姿が変わったとはいえ、今日も静かに時を刻み続けているだろう。
▲現在では山間の小駅に過ぎない山北駅も、地域の人々にとっては都市部とを結ぶ貴重な交通手段であることには変わらない。駅舎をはじめ、ホームや上屋、跨線橋といった駅の施設は、そのほとんどが木造であったり客車時代から使われ続けている物であったりと、今の時代にあっては古さが否めない。しかし、長い歴史を紡いできた駅だからこそ、これらの古い施設がよく似合っていると思う。進入してくる列車は最新技術を備えた車両であっても、こうした「良きもの」」はこれからも残していきたいものである。
駅概要
駅名 山北(やまきた)駅 駅構造 地上駅
所在地 神奈川県足柄上郡山北町 ホーム構造 島式1面2線、側線2
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海) 駅種別 旅客駅
所属路線 御殿場線 開業 1889年
キロ程 15.9km(国府津起点)  
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