このサイトについて 「筆者」への連絡
取材日:2012年8月2日
掲載日:2012年11月11日
▲真夏の暑い日差しが照りつけ、アスファルトを焦がし陽炎も立ち上る道路の上を武蔵野線の高架橋が跨ぎ、そこをEF66形牽引の根岸行き貨物列車が通過していく。川崎市の幹線道路の一つである通称:尻手黒川線上に突如として現れる鉄道の高架線と貨物駅が、武蔵野線ということを知る人はあまり多くない。とはいえ、増加する旅客輸送に対応するために、それまで都心部を通過していた貨物列車を郊外に建設したバイパス線を経由させることで、輸送力を改善させた役割は大きく現在もそれは変わらない。
 武蔵野線という路線名を聞くと、ほとんどの人は府中本町駅〜南船橋駅間を走る鉄道路線を思い浮かべるだろう。確かに、旅客営業をしている区間としての武蔵野線であれば、それが正しい答えだ。ここで、「違う!」と答える人は、恐らく相当熱を入れている「鉄」な方か、或いは鉄道を本業としている方に違いない。筆者も自信を持って「違う」と答えるが、それは後者の経歴からくるものだ。
 武蔵野線を厳密に言うと、鶴見〜梶ヶ谷貨物ターミナル〜府中本町〜南船橋を指している。鶴見から新鶴見までは東海道貨物線を構成している品鶴線と重複しているが、正式な起点は鶴見駅である。そして、新鶴見信号場から約1km強東京方へ行くと、地下に潜るトンネルがぽっかりと口を開いているが、このトンネルこそが武蔵野線の「武蔵小杉トンネル」なのだ。そして、この鶴見〜府中本町間は旅客営業を行わず、専ら貨物列車が運転されている区間であるが故に、冒頭のようにこの線路の存在を知る人は少ないのだと思う。

▲上:梶ヶ谷貨物ターミナル駅の駅本屋。屋上には開業当初からあるコンテナをもした看板があり、時代とともに黄緑6号色から青22号、そしてJRFレッドへと変化しているものの、キャッチフレーズ「全国を結ぶ コンテナ超特急」はそのままである。駅名も「梶ヶ谷駅」と短縮形。 下:コンテナホームは1面2線の構造で、有効長はそれほど長くはない。写真左側には荷役を終えて待機する貨車が留置されている。右側の投光器鉄塔の向こうには、私有コンテナの中でも珍しい地方自治体所有となる川崎市の生活廃棄物専用コンテナも見える。
 武蔵野線でこの旅客営業を行っていない区間がある理由は、武蔵野線の建設に至る歴史を紐解かなければならないだろう。そもそも武蔵野線の建設が計画された当初は、旅客営業を行わない貨物専用鉄道で、鉄道貨物輸送が日本の物流の主役だった1927年に、東京外環貨物線として計画されたことに遡ることができる。もちろん、戦前の計画なので現在の武蔵野線そのもののではないが、武蔵野線建設のルーツを辿るとこの計画に行き当たる。そして、この当時の鉄道貨物輸送はヤード継走方式が主流で、多くの貨物列車が運転されていた。首都東京の貨物駅は、西の玄関口として汐留駅、北の玄関口として隅田川駅が置かれていたが、東海道方面と東北・常磐方面を結ぶ貨物列車は、山手貨物線と呼ばれる山手線に並行する形で走る貨物線を使用していた。
 ところが、戦後首都圏の著しい人口増加とともに、山手線の旅客輸送量も増加したことで、旅客列車の運転本数も増加の一途を辿り、やがて高度経済成長期の頃になると各方面から流入する貨物列車も増加し、山手貨物線の輸送力も限界に近づいていた。そこで、山手貨物線のバイパス線として、1964年に鉄道建設公団の手によって武蔵野線の建設が始められたという経緯がある。
 武蔵野線の最初の開業区間は府中本町−新松戸間で1973年の開業である。建設当初は貨物専用線であったが、新線建設の沿線住民への見返りとして旅客営業も始められた。しかし、当時は貨物列車の間合いに旅客列車を運転するという、現在では考えられないようなダイヤ設定で、日中は40分に1本、ラッシュ時でも15分に1本の旅客列車の設定であったという。それだけ、当時は貨物列車の運転本数が多かったのだろう。山手貨物線のバイパス線として武蔵野線が建設されたのも肯ける。
 そして、鶴見−新鶴見操車場(当時)間は、既に東海道本線の支線としての品鶴線をそのまま重複させる形で設定し、鶴見−新鶴見操車場−府中本町間が延伸開業したのが1976年で、この時に今回の話の主役である梶ヶ谷貨物ターミナル駅も開業している。
 鶴見−新鶴見操車場−府中本町間、いわゆる武蔵野南線はそのほとんどが地下区間になっている。武蔵小杉トンネルは、再開発が著しい武蔵小杉駅付近から地下に潜り、川崎市中部を斜めに横断するように人知れず走り、多摩丘陵の南端にあたるところでひょこっと顔を出す。明かり区間として一旦地上に出てくるのだが、そこは川崎市を南北に結ぶ幹線道路である「尻手黒川道路」の真上である。そして、顔を出したところで着発線とコンテナホームを備えた梶ヶ谷貨物ターミナル駅があるのだ。
▲開業当時である1976年頃の梶ヶ谷貨物ターミナル駅の空中写真。東西に延びる広大な敷地の様子がわかる。駅の北側には回り込むように尻手黒川道路が走っている。構内も現在とは違い大きな建物はなく、コンテナホームの北側に貨物上屋が見られ車扱貨物も取り扱ってわかる。現在はこの場所に複合物流施設「エフ・プラザ」が2棟建っている。(出典:国土交通省カラー空中写真)
 梶ヶ谷貨物ターミナル駅は、その名が示す通り貨物駅である。ちょうど多摩丘陵の東側に位置する丘陵地と平野部が入りくんだあたりにある。似たような名称の駅としては、東急田園都市線の「梶が谷駅」があるが、二つの駅はかなり離れたところに位置している。駅の構造としては高架駅だが、駅敷地の大半が築堤の上に造られている。貨物駅という駅の性格上、本線を含めて何本もの線路を敷くために、自ずと駅の敷地は広くならざるを得ない。そのために、かつての操車場ほどでないにせよ、駅の敷地巾も大きくなってしまう。地域をこの貨物駅によって分断されているが、駅の両側を結ぶために 本のトンネル(正確には架道橋。高架駅という構造に由来している)が造られている。そして、築堤上に造られた広い構内には、武蔵野線の本線が駅の西側にあり、東側に向かって4本の着発線があり、さらに仕訳線と荷役線が敷かれている。
 現在では車扱貨物列車が殆ど淘汰され、一部を除いて貨物駅ではコンテナ貨物のみを取り扱っているが、梶ヶ谷貨物ターミナル駅は開業当初からコンテナ貨物を取り扱っている。手元の資料が乏しいために詳しいことは分からないが、恐らく開業当初は車扱貨物も取り扱っていたと思われる。国土交通省のカラー空中写真を見ると、1979年当時はコンテナホームの北側に荷捌場らしい上屋があり、その脇には長い線路が1本あり、線路上には有蓋車が停車しているのが分かる。駅名に「貨物ターミナル」と入る貨物駅は、コンテナ貨物を主体に扱う位置づけだったので、この車扱貨物もごく短い期間だけだったのだろう、ヤード継走方式が全廃になると、これらの機能は停止されたと思われる。だがその名残りか、荷役線に挟まれたコンテナホームの北側には、短い仕訳線が4本敷かれている。
 駅本屋は敷地のちょうど東にある。貨物駅の駅本屋というとなかなか想像できないかも知れないが、駅長室と営業事務室があるごく普通の建物で、とりたてて鉄道駅としての特別な設備(改札口など)があるわけではない。ただ、2階建てのこの建物の屋上には、開業当初からコンテナを模した大きな看板が取り付けられていて、そこには「戸口から戸口へ 全国コンテナ超特急」と当時の国鉄コンテナ貨物のキャッチフレーズが書かれている。この看板も、国鉄当時は黄緑色で、民営化でJR貨物に継承されるとスカイブルー(JR貨物では「コンテナブルー」と言っている)に塗り替えられ、JNRのマークもJRマークに付け替えられた。そして、最近では最新のJRコンテナのカラーである赤紫色の所謂「コンテナレッド」に塗り替えられている。時代の流れとともに、この看板も幾度となくお色直しをしているが、「戸口から戸口へ コンテナ超特急」のキャッチフレーズは今も健在だ。
 ところで、前述の荷捌場があった場所には、「エフ・プラザ梶ヶ谷」という物流複合施設が2棟建っている。これは、広大な貨物駅の構内に敷かれた線路を必要最小限に整理した上で、空いた敷地に物流複合施設を建設して荷主に貸して鉄道貨物の利用を促進しようとするものだ。そして、この梶ヶ谷貨物ターミナル駅には、筆者が知る限りJR貨物で最初の物流複合施設が建設されている。建物の外壁にはJRマークが掲げられているので、JR貨物が所有する施設であることが分かるが、借りているのは洋酒メーカーのサントリーだ。筆者も一度、この施設の中を見たことがあるが、パレットに載せられた荷物が多く積まれていた。もちろん、ここでコンテナに載せ替えたり、コンテナから下ろしてるのだろう。同様に、後から建てられた施設には「旭食品」が入居しているが、こちらは同社の看板が掲げられている。

▲上:武蔵野南線はほぼ全線に渡って地下区間となっている。そのため、ここを乗務する機関士からは「銀河鉄道」と呼ばれている。長い地下区間走行による機関士の感覚対策のためと、都心部にある貨物取扱駅を武蔵野線上にもってくるために「明かり区間」として梶ヶ谷貨物ターミナル駅で地上に出ることになる。写真は鶴見方の武蔵小杉トンネルの開口部。周辺には戸建て住宅がぎっしりと建っている。 下:JR貨物が所有する広大な敷地の中には、民営化後の車扱貨物の廃止などの合理化により遊休化する土地が増えることになった。これらの土地を有効利用し、さらに鉄道貨物の利用促進をはかるために多くの複合物流施設「エフ・プラザ」を建設した。梶ヶ谷貨物ターミナル駅のこの施設はJR貨物としては最初のもので、その後これら遊休地活用として同様の施設を、6駅12棟を建設していった。
 この他にも、駅の北西側にはソフトバンクテレコムの施設が建っている。なぜ、JRの敷地にソフトバンクテレコムなのかと思う方もいるかも知れないが、ソフトバンクテレコムの前身はボーダフォンというのはよく知られている。こちらは携帯電話会社だが、固定電話事業をする会社として日本テレコムもまた、ソフトバンクテレコムの前身だった。そして、この日本テレコムと合併した会社に鉄道通信株式会社、JR通信があったのだった。JR通信は、国鉄の分割民営化によって誕生した会社の一つで、全国に張り巡らされた鉄道電話網の基幹設備(交換機、基幹回線網など)を継承している。JR通信は日本テレコムとの合併で消滅したが、鉄道電話網を事業の一つとしていたために、この鉄道用地に施設を作ることができたといえる。もっとも、この「梶ヶ谷センター」という名称の建物、いったいどんな役割をしているのかは筆者も実のところ知らないし、鉄道員であった当時も「あそこに何があるのか分からない」と教えられるだけだった。警備も厳重だと聞くから、かなり重要な施設であることには間違いないのだが。
 もう一つ、梶ヶ谷貨物ターミナル駅の構内に、面白い建物がある。面白いというよりは、敷居が高いと思われがちな貨物駅の構内に、一般の人が自由に出入りできる商業施設がある。大和ハウスが運営するホームセンター「ロイヤルホームセンター梶ヶ谷店」がそれで、ここを利用するためには貨物駅構内の道路を通らねばならない。そのため、一般に貨物駅構内は許可がなければ立ち入ることができないが、梶ヶ谷貨物ターミナル駅に限って言えば、この「ロイヤルホームセンター梶ヶ谷店」があるので、コンテナホーム以外の道路は許可なく通行できるのだ。
 この他にも、この駅を特徴付けるものとして、「クリーンかわさき号」と呼ばれる列車がある。この「クリーンかわさき号」は梶ヶ谷貨物ターミナル駅を発駅とするコンテナ貨物列車だが、コンテナに積まれている荷物はなんと生活廃棄物、いわゆる「ゴミ」なのだ。これは、川崎市が一列車まるまるチャーターして、川崎市の北部地域で出される生活廃棄物やそれらの焼却灰を、川崎市の浮島まで運ぶというもので、従来はトラックで輸送していたものを、合理化によるコストダウンとCO2排出削減という「一石二鳥」を目論んで、全国でも初の地方自治体が荷主となる廃棄物輸送列車を仕立てたのだ。これがきっかけとなったかどうかは分からないが、その後JR貨物は「静脈物流」という分野に目を付け、産業廃棄物の取扱い許可を得ているというから、時代は変わったものだと感じさせられる。筆者が鉄道に現役でいた当時、「ゴミを運ぶ」などという発想はなかったし、荷物と言えば「製品」や「原材料」というのが当たり前だったのだから。
 駅の看板のように、その時代に応じて姿を変えてきた貨物駅は、恐らく一般にはあまり目立たない存在なのかもしれない。実際、今の仕事の同僚にこの駅の話をしても知らない人が多い。しかし、こうした貨物駅が日々の生活に実は欠かせない存在となっていることは間違いない。事実、清涼飲料も「エコレールマーク」を取得した製品があるほどで、一時ほどではないにせよ鉄道貨物の存在と役割は重要であり、その結節点である貨物駅の重要性もまた同じである。
 筆者にとって、梶ヶ谷貨物ターミナル駅は縁の深い駅でもある。幼稚園の頃にこの駅を見学する機会があり、初めて貨物駅という存在を知り、その後2度ほど駅に行っては間近でコキ車を眺めたこともある。もちろん、今となってはなんと恐ろしいことをしたものかと、我ながら呆れる話ではあるが、それはそれで貴重な体験だった。鉄道員として働く中で、ここに置かれた電気区派出に勤務し、毎日あのコンテナ看板の下で仕事もしてきたし、この春の異動ではこの駅の近くの職場になった。「縁」という見えないもので何か結びつけられているこの貨物駅も、年々取扱貨物量は減少傾向にあり寂しい話である。駅周辺の宅地化が進み環境が変わったことが要因であるが、環境保護という観点から鉄道貨物が見直されている今の時代こそ、この駅の発展を願ってやまない。
▲今ではベッドタウンとして開発され、多くの住宅が建ち並ぶ中にある梶ヶ谷貨物ターミナル駅も、開業当時は人の手が入っていない多くの自然に囲まれていた。そのことを語り継ぐように駅周辺には丘陵地が多くあり、僅かになったものの未開の土地も存在する。武蔵野線という東海道線と東北線をを結ぶバイパス路線としての重要な役割を担う鉄道の駅でありながら、発着本数は漸減していき貨物取扱量も年々減少の傾向にある。しかし、当駅発着の通称「ゴミ列車」と呼ばれる生活廃棄物専用の貨物列車は、鉄道貨物による静脈物流の先駆けとなった意味は大きく、それ故に住宅地の中にある貨物駅としての位置づけは生活に密着したものとなっている。
駅概要
駅名 梶ヶ谷貨物ターミナル駅 駅構造 高架駅
所在地 神奈川県川崎市宮前区 ホーム構造 1面2線(コンテナホーム)
所属事業者 日本貨物鉄道 駅種別 貨物駅
所属路線 武蔵野線(武蔵野南線) 開業 1976年
キロ程 鶴見起点 12.7km その他  
広告
P R
(C)2004-2014 Norichika Watanabe Allright Reserved.