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取材日:2012年8月7日
掲載日:2014年6月1日
▲太陽が西に僅かに傾き始めたことを知らせるように、日差しの色はごく僅かに朱がかってきた。真夏の日差しを受けて、223系電車で運転される新快速が彦根駅へ進入してくる。彦根駅の東側は写真のように伊吹山地の麓が迫り、木々に生い茂る緑が眩しい。京都・大阪方面へ向かう利用者は思いの外多く、ホームには平日の午後という時間帯にかかわらず多くの人で賑わっていた。列車の直上には、伊吹山地の麓側になる駅東部と琵琶湖に面した西側の地が一を結ぶ滋賀県道518号線がオーバーパス。アーチ橋の一種であるローゼ橋が線路を跨いでいる。
 滋賀県の中央部にある彦根市。安土桃山時代には佐和山藩と呼ばれ、戦国武将の石田三成が入封し、関ヶ原の合戦の後に江戸時代に入ると、井伊直政が代わって入封。18万石の所領とともに栄えていった城下町だ。その後、彦根藩と名を改め最終的には35万石を所領とする大名となるも、幕末の安政の大獄に端を発する桜田門外の変で、時の大老であり藩主の井伊直弼が暗殺され、その罪により10万石へと厳封されたという、まさに戦乱の世から幕末の動乱期に至るまで、波瀾万丈に満ちた歴史をもつ地域だ。

▲彦根駅西口から見た彦根駅駅舎。橋上駅舎は近代的な建物なので、開業からの長い歴史から考えれば最近の供用だろう。駅前には彦根を語る上で欠かすことのできない初代彦根藩主・井伊直政公の騎馬銅像が置かれ、訪れる人々を出迎える。
 最近では、「ひこにゃん」といういわゆるゆるキャラでその名を全国に知らしめているものの、こちらも著作権がらみで揉め事になっていると聞く。時代が変わっても、どういうわけかこうした事に縁があるというのも不思議なものだ。
 筆者がこの彦根という地を知ったのは、小学生の頃の話。筆者の父がこの頃、とにかく長期の出張が多くて家を不在にすることが多く、「彦根へ出張だ」と聞くと、また何ヶ月も行ったきりになってしまうのだと子ども心に感じたものだった。何ヶ月ならまだマシな方で、下手をすれば何ヶ月が1年になってしまうこともよくあった。いったい、遙か西の地で何の仕事をしているのだろうと、この頃の筆者には想像もつかなかったものだが、後年、父と酒を酌み交わしながらその頃の話を聞くと、どうやらアルミ缶工場の製造設備を製作していたとのことだった。当時は今のように発泡酒やら第三のビールなどという酒はなく、アルコール飲料といえばまずはビール。そのビールを入れるアルミ缶の需要は旺盛で、一度設備を作ってしまえばそれでお終いというわけではなく、改良やら増設やらととにかく仕事には事欠かなかったという。景気が低迷し、企業の設備投資が抑制された今とは大違いだ。そんな、父が家族を養うために、何ヶ月も家族のもとを離れて仕事をした彦根という町に、いつしか行ってみたいものだと思っていたのだが、そのうちそのことを忘れ、筆者自身も仕事に追われる身になってしまった。
 そんな彦根という町を思い出すきっかけは、2012年の人事異動で8年近くを過ごした職場から、新しい職場に移ってからのこと。筆者が執務に使うデスクの右にデスクを置く二年目の若い女性職員との話のなかで、彼女が彦根の出身ということを聞いて筆者の父がかつて彦根によく出張に出かけていた事を話すと、「その工場、私が通っていた高校の傍ですよ」という。世間とは本当に狭いもので、そうした雑談からこの夏の遠征取材の折りに立ち寄ってみることにしたのだ。因みに、この女性職員のお祖父様はかつて国鉄に勤めていた方で、話を聞くと名鉄局管内の駅畑を歩んだ後に、米原駅長にまで登りつめたというから驚いた。筆者にしてみれば、職を辞したとはいえ一介の電気係からすれば大先輩であり雲の上の存在。筆者のあまりの驚きように、彼女は「そんなに凄いんですか?」と今ひとつピンとこないようだった。願わくば、一度現役時代のお話を伺いたいものだ。

▲上:彦根駅改札口は大阪近郊区間に入るのですべて自動化がされていた。IC乗車カード「ICOCA」をはじめ、全国の相互利用可能な乗車ICカードが利用できる。ちなみに「ひこにゃん」のお出迎えはなかった。 下:東海道本線の東側には近江鉄道の車両基地が隣接し、営業用の車両のほかにJR←国鉄線上から姿を消して久しい電気機関車が留置されている。「近江鉄道ミュージアム」として特定した日に限って一般公開もされている。写真の左側からED34形と4両が並ぶED14形。後者は我が国の電気機関車黎明期に米国から輸入されたもの。

 さて、彦根駅を訪れたのは、夏の休暇を利用した遠征取材の最終日。といっても一泊二日しか遠出ができないので二日目のこと。20時過ぎに京都駅を発車する東海道新幹線に乗車して帰京しなければならないので、事前に綿密な計画を立てての訪問となった。この日の午前中は阪急電鉄今津線から能勢電鉄の取材を終えて、午後からは東海道本線の幾つかの駅を取材。その最後に彦根駅を訪れるというものだった。大阪駅から東海道本線の上り新快速に乗車した頃は既に午後になっていて、天候は今にも雨が降りそうなどんよりとした曇り空。ところが、近江盆地を東に進むうちに天候もよくなり、彦根駅に降り立つ頃には透き通るほどの青い空と、西に傾き始めて僅かに朱色がかった夏の強い日差しが照りつけていた。
 彦根駅は東海道本線の中間駅の一つ、彦根市の中心駅である。東側に3km弱ほどで琵琶湖が広がり、西には鈴鹿山脈がそびえ、駅はちょうどこの二つの湖と山に挟まれた自然豊かな位置にある。駅から琵琶湖に向かって300m行くと彦根市役所が、さらに湖の方には彦根藩の藩庁でもあった彦根城もあり、かつての城下町の中を貫くように東海道本線が走っている。
 国鉄時代は彦根駅と一つ東にある米原駅の間に名古屋鉄道管理局と大阪鉄道管理局の境界があったが、1987年の分割民営化の直前に局境界は米原駅からさらに東の醒ヶ井駅との間に移され、在来線の米原駅共々JR西日本に継承されている。もっとも、彦根駅そのものはもともと大阪鉄道管理局の管轄であったから、JR西日本に継承されたこと自体は不自然ではなかった。そして、彦根駅は近江鉄道本線の中間駅で、こちらは琵琶湖とは反対側、即ち東側に島式1面2線の設備のほかに車両基地の留置線群があり、営業用の電車のほかにED14形電気機関車をはじめとした旧式車両が保存され、その一部は「近江鉄道ミュージアム」として公開されている。
 JR西日本に所属する彦根駅は、相対式2面3線の駅構造である。中間駅での2面3線という駅構造は少々中途半端な配線だが、これは上下本線の間に中線があるためだ。ホームの案内には1番ホームと2番ホームと番号が振られているが、厳密には上り本線が1番線で、中線が2番線、下り本線が3番線となっている。この2番線は、貨物列車や回送列車の待避に使われているようで、レールの頭部が本線のそれに比べて鏡面状になっていないことから、使用頻度はそれほど多くないようだ。


▲彦根駅の長い歴史を語る「証人」の一つに、ホーム上屋を支える古レールを活用した構造物がある。この類の建築物を見るたびに、先人たちの技術と美意識には感心させられる。同じ形に曲げられた古レールの支柱が並んだ光景は、一種の芸術すら感じずにはいられない。そのレールには製造年と製造所を示す刻印があり、「OH TENNESSEE 1928 III」とあった。
 ホームは客車による列車運転が主体であった頃の高さの低い構造物に、電車対応にするために嵩上げしたことが判る、歴史の古い駅にある典型的なもの。客車時代のものは、コンクリートブロックを積み上げて造られていて、ホームに立って反対側のホームを望むとその様子がよく判り、往時のホームの状態を窺い知ることができる。電車による運転が中心になり、直流電車は低いホームに対応したステップを備えない構造のために、元々のホームの上にコンクリートを打ち付けて、電車に対応するために現在の高さにしている。新たに嵩上げした部分と元々あった部分とでは、列車が停車しないホーム先端部は嵩上げされていない部分も残っていて、そこにはスロープ状になっている。
 ホームを歩いていると、とにかく有効長が長いことに気がついた。日中の運転本数は毎時4本程度しかないが、列車そのものは新快速で8〜12両編成、普通列車も6〜12両編成で運転されるため、人口11万人強の都市にある駅としては、列車の連結両数もさることながらホームの有効長も多いような気がする。このホームの有効長の長さは、かつて客車列車で運行されていた頃の名残といえる。それというのも、現在のように電車列車による普通列車の多頻度運転は、鉄道の長い歴史からするとごく最近のもの。彦根駅は大阪近郊区間に入るので、早い頃から電車化・多頻度運転が行われていたとはいえ、いわゆる汽車ダイヤ時代には普通列車といえども1時間に1〜2本あればよく、ともすると2時間に1本というのがあたりまえだった。その代わりに、列車1本の連結両数は多く10両以上で組成され、運転区間も長距離であることの方が多かった。かつては東京発門司行き普通列車なんていうのも運転されていたようで、そうした長距離を走破する列車には自ずと食堂車なども連結されるのが普通で、そうなれば1本の列車も連結両数は長くなるというもの。現在では考えられないことだが、そうした長大編成を組む列車が停車するにはホームの有効長も長くなるというものだ。無駄にも思えるこの長いホームは、ある意味日本の鉄道史を語る生き証人なのかもしれない。
 現在では米原以西の東海道本線は京都駅、大阪駅を通って遠くは赤穂線の播州赤穂駅や山陽本線の姫路駅まで通しで運転し、輸送需要の旺盛な区間を通過するために、彦根駅周辺の輸送実態では過剰ともいえる連結両数の列車が運転されるため、このようなホームの有効長が必要になってくるようだ。実際、一通りの取材を終えて、米原駅から京都駅まで普通列車に乗車したが、米原駅発車時の車内は閑散としていて、筆者が乗車した車両には筆者を含めて3人しかいなかった。彦根駅の京都方にある南彦根駅で降りる人の姿はなく、乗車も数えるほどしかいなかった。新快速の通過駅では毎時2本の列車、しかも普通列車のみが停車せず、さらに京都駅まで新快速との緩急接続もないために、本線ではあるもののそれほどの利用率はないようだ。もっとも、平日の夕方で都心部に向かう列車であるためでもあろう。一方で、京都駅に近づくにつれて車内に人が増え、逆に上り列車には多くの人で混雑している様子からして、ある程度の需要が見込めるのかも知れない。
 ホームの上屋に目を向けると、ここにも彦根駅の歴史を感じさせるものがあった。上屋は増築された部分を除いて古レールを再利用したもの。支柱や梁といったものは、そうした部材をどうやって曲げたのだろうかと思わせるくらいに綺麗に曲線状に曲げられ、上屋を支えている。古レールだけでは上屋を造ることは難しいが、L字鋼やH鋼など巧く組み合わせて強固な構造物を造るのはまさに匠の技といっていいかもしれない。しかも、構造物を支えるために最も強度が必要とされる部分に古レールが使われているというのも、かつての建築技術者たちが経験と技術伝承によって導き出された結論なのかもしれない。

▲彦根駅の長い歴史を語るもう一コマ。電車列車が運行の主体になった現在では、ホーム高さもある程度必要だが、かつて客車列車が主体であった頃はバリアフリーなどという言葉もなく、ホームは必要最低限度の高さしかもたなかった。電車列車が運転されると、客車対応の高さでは対応できなくなるので当然、嵩上げがされている。写真上のホームは嵩上げ前と後が非常にわかりやすい。ホーム先端から低いまま茶色っぽくなっているのが客車時代のもので、左側にはコンクリートの色が白っぽく新たに打ち付けられたことが分かる。ホーム上屋も一件華奢のように見えるが、駅の長い歴史を見つめながら乗客たちを風雨や暑い日差しから守ってきた。一部に木材が使われていることも、その古さを知らしめている。
 最近の駅の構造物はとにかく貧弱としか思えないのは筆者だけだろうか。手軽に入手できるH鋼やL字鋼などを組み合わせて上屋などの構造物を造るのは、現代建築ではごく普通の物となっている。しかし、一度豪雪や台風に襲われるとその脆さを露呈することが多い気がする。一方、H鋼やL字鋼などよりも遙かに強靱な古レールを使った構造物はどうだろうか。100年近く経っても破損することなく残っているものが多いと思う。
 それもそうだろう。そもそもレール自体がかなりの強度を求められる鋼材だからだ。日本の代表的な蒸気機関車の一つであるD51形の運転整備重量は、およそ78.4tもある。かつて東海道を駆け抜けたEF58形電気機関車は115tもあったというから、そんな大重量を支えるレールは自ずと鋼材の中でも強靱な物となる。材質も高炭素鋼で腐食にも強いとくれば、用途廃止になり廃棄物でしかない古レールを、新に駅構造物に活用するというのは当然の帰結であり、しかもコスト的に見ても安価で入手できるというものだ。
 もっとも、こうした構造物に活用できる古レールは、30kgレールや37kgレールと呼ばれる比較的軽量のものに限られているようだ。この重量はレールの規格であり、1mあたりの重量を指している。60ポンドレール(30kg)、75ポンドレール(37kg)は鉄道黎明期から使われているもので、その細さ故に加工がしやすいようだ。現在の主流である50kgNや60kgNは、その太さのために優美な曲線を描く折り曲げ加工がしにくいと思える。
 彦根駅のホームにある上屋を支えるレールを観察すると、なんと1928年3月製と刻印から読みとることができた。1928年!まだまだ昭和に入ってすぐの時代ではないか。今回は幸いに製造所も読みとることができたが、このレールに入っている文字は「OH TENNESEE 60?0」。国産であれば記号(官営八幡製鉄所であれば○にSマーク)であったり略称(日本鋼管ならNKKなど)が入るところが、しっかりと「テネシー」と読める。このレール、USスチール社テネシー工場製というから更に驚かされた。輸入品であり、しかも四半世紀以上も昔に製造されたレールが、21世紀に入った現在でも活用され、近江地方の寒暖の激しい気候に晒されながらもしっかりとその強さを発揮している。
 彦根駅周辺の様子についても触れておこう。
 彦根駅は伊吹山地と琵琶湖に挟まれた平野部にある。平野といってもそれほど広くはなく、駅の間近に伊吹山地の麓が迫り、反対に西側には歩いて行ける範囲に琵琶湖にたどり着ける。その途中には、冒頭でも紹介した彦根城があり、駅から琵琶湖にかけては格子状の規則正しくつくられた街並みが、かつて井伊30万石の城下町であったことを物語っている。その彦根城、今回は時間の都合で行くことはできなかったが、国の特別史跡に指定されている城跡で、ここの天守は数少ない「現存天守」、即ち明治維新期に時の政府が「廃城令」を出して歴史的建造物を廃城、即ち解体処分される城が多い中で、それを免れることができた古くからの建物が残っているものだ。もっとも、彦根城も廃城令によって破却されることになっていたが、明治天皇が巡幸で彦根城を通過した際に城の保存を命じたため破却を免れたという。明治天皇のこの命令がなければ、歴史的資産である彦根城も現在までにその姿を伝えることはなかったであろう。

▲彦根駅は、大都市にはない豊かな自然に囲まれていることが窺える。伊吹山地の山々の緑が美しい。駅からは直接見ることはできないが琵琶湖もごく近くにあり、山と水の織りなす光景は都会住まいには新鮮に映る。
 その彦根城も、既に築城から400年以上が経っている。姫路城と並んで、世界遺産に登録しようとする動きもあるようだ。政府は既に暫定リストに彦根城を登録しているが、さて、正式に登録されるのはいつのことになるかはまだ分からない。しかし、世界遺産登録ともなれば、クリアしなければならない課題は数多くあるだろう。後世にその歴史的価値、自然的価値のあるものを残そうという意味での世界遺産登録であれば、それはその意味があると思う。しかし、最近の日本の世界遺産登録への動きは、商業的な意味合いが強く出ているように思えてならない。世界遺産に登録されれば、観光客を誘導することが容易になり、その結果地域経済の活性化に繋がるというものだ。それも悪いことではないが、本来の意味を見誤っている気がしてならない。
 彦根駅の西側、即ち琵琶湖側には彦根城などの史跡や彦根市役所など、市の中心部があるのに対し、東側には近江鉄道の本社があり、さらに伊吹山地の麓には東海道新幹線や名神高速道路が通っている。彦根市はこの東海道本線で東西に隔てられているような格好だが、東西を結ぶ幹線道路として県道518号線が駅北側でオーバーパスをしている。ホームの米原方先端にその端があり、少々色褪せてはいるものの赤く塗られたアーチ橋の一種であるローゼ橋が架かっているのが見える。鉄道を跨ぐ跨線橋にローゼ橋というのも珍しい気がする。通常、鉄道を跨ぐ跨線橋には強度の強いトラス橋か、あるいはコスト的に優れるラーメン橋が多いのだが。

 かつて30万石を誇る国内有数の大名、井伊氏が治めた彦根。その城下町として栄え、中山道と北陸道という街道が合流する結節点として、交通の要衝でもあった古くからの街は、結節点としての機能こそ隣の米原駅に譲ることになったが、伊吹山地から琵琶湖まで僅か5kmの土地に多くの人が住み、生活をしてきたことは今もなお続いている。その玄関口としての彦根駅は、2002年には一日平均乗車人員が9,050人と過去最低を記録したものの、その後は増加に転じて2012年には10,396人にまでになっている。景気の低迷、原油価格の高騰といった背景もあるであろうが、鉄道利用者が確実に増加していることは間違いない。しかし、ここを故郷にする同僚曰く、やはりマイカーがなければ生活できないの言を顧みれば、公共交通機関として利便性を高めていかなければこの増加はなかったと考えられる。彦根駅だけ見れば日中毎時4本、そのうち2本は新快速で残りは普通列車だが、普通列車のみが停車する駅を見れば毎時2本というのはかつての汽車ダイヤ時代を連想させる少なさだ。しかも、その数少ない列車も必要以上に長大編成であるなど、言い換えれば先祖返りした感が拭えなくもなく、主要駅以外はある意味「切り捨てている」ような印象を強く感じた。実際に「鉄道は使いづらい」という同僚の言葉に、自分の目で見て納得せざるを得ないものが会った。こうしたあたりに、JR西日本の経営努力が求められる気がしてならない。京阪神地区の速達化も結構なことだが、利便性と安全性の向上は、もしかすると旧国鉄の大阪鉄道管理局時代から常に付きまとっている大きな課題なのかもしれない。
 その中にあって静かな湖の畔にある城下町彦根。いずれ、時間があればゆっくりと歩いてみたい、もう一度行ってみたいと思える素晴らしいところになった。
▲その昔、中山道と北陸道が合流する交通の要衝として、そして井伊家35万石の城下町として栄えた彦根。伊吹山地と琵琶湖に囲まれたこの町は、現在も大阪近郊のベッドタウンとして多くの人々が生活を営んでいる。だが、市街地から少し外れると、そこにはたくさんの水田などの農業用地も広がり、地方都市としての様相を呈している。大都市にはない、豊かな自然に恵まれた近江の町にとって、通勤・通学の貴重な交通機関であることには変わりない。利用者の利便性を維持・向上させつつ、さらなる安全輸送を願わずにはいられない。
駅概要
駅名 彦根駅 駅構造 地上駅(橋上駅)
所在地 滋賀県彦根市 ホーム構造 2面3線
所属事業者 西日本旅客鉄道 駅種別 旅客駅
所属路線 東海道本線 開業 1889年7月1日
キロ程 東京起点 451.9km その他 近江鉄道本線
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